四川古鎮行 その3 羅城鎮


2008−01-06


3月1日

羅城鎮は、中国でもほとんど唯一無二のユニークな街です。
なにしろこの街は舟の形をしているのです。
犍為県の県政府所在地から、30q、1時間ほどがたがた山道を行きます。ところどころ棚田をみながらの旅です。
海抜が低く、温かいのでサトウキビ畑もあります。四川はその昔唐の時代では茘枝がとれたというくらいですから、気候変動
を考慮しても、中南部は温かい場所も多かったようです。

羅城鎮は標高800mほどの山の上にあります。まるでアララト山の頂上に乗り上げたノアの箱船のようです。

この街は崇禎末年(1627〜1644)にはじまり、清代の同治年間にも再建されています。おそらくこのときに今の舟形の街が出
来たのだと思います。

山の上になぜ舟があるかというと、伝説のいう説明では、風水思想に基づくもので、水の便が悪いこの土地に、水を招かんが
ための舟形という説があります。そのほかに、防犯に適しているとか、沿海部から来た移民が来たからだ、などという説もあ
ります。ちなみに街を船に見立てる説は四川東南部の資中も同じ言い方があるのですが、こちらは別に城市そのものが船の形
をしているわけではありません。

最大幅9.5m、全長約200m余りですから、ちょっとした貨物船ぐらいの大きさです。防犯に適しているというのは、このように
楕円形に囲まれた市街が有利なことはいうまでもないのですが、戦禍に対する備えとしては、この街に通じる十二の石畳の小
道は、どれも門扉を設けて出入り口をふさぎ、それぞれの家の壁が連なって城壁としての機能をもっています(応金華・樊丙
庚主編『四川歴史文化名城』成都・四川人民出版社、2001年:572頁)。

全体で84本、左側41本、右側43本の柱が使われ、丈夫な丸太組の柱と梁が、曲面を描いて木の葉形に合わさり、両側を黒瓦の
屋根が鱗のように覆っています。石台の基礎が1m、柱高7.6mの高さです。青石板の石畳が落ち着いた雰囲気です。

屋根の下に店舗が櫛の歯のように連なって設けられ、やはり木の葉形をなした中庭が甲板がわりです。
中央には劇舞台があります。舞台の前には石造りの立派な牌楼があり、その前には水池があり、いざという失火には防火用水
となります。

この劇舞台を中心として、5mから7mにかけての雨をしのげる屋根に覆われた街道は、「涼庁子」(リャンティンツ)と呼ば
れ、開放的な空間と、全天候に適した臨機応変な街となり、市が立てば市の用途に、お祭りのときは劇を上演して皆で見物と、
便利に過ごせるようになっています。

船の後ろ近くに楼閣のような建物が見えます。見立てからいうと、船橋に相当する部分です(ちょうどタンカーのような形を
想像してください)。これは霊官廟です。霊官というのは、霊官王元帥などという神々を指し、道教の元始天尊・霊宝天尊・
太上老君などの最高神を守る護法神です。ちなみに、この地の霊官廟の廟会は6月15日で、四川の他の地が4月26日であるの
とは異なっています(応金華・樊丙庚主編『四川歴史文化名城』成都・四川人民出版社、2001年:575頁)。

かつて三元号、豊泰店といった老舗が並んでいましたが、今日では庶民向けの服飾店、金物屋、靴屋、百貨店などです。その
大半とくに一方右舷側は、最近までほとんど四川の街どこにでも見られた茶館です。

十軒はあると思います。

竹製のイスに腰掛け、お茶を何杯も何杯もお代わりしながら、四川劇の劇曲の唄い声に耳を傾け、老友と語らい、そして多く
の場合は麻雀や四川伝統の紙牌(紙麻雀)に打ち興じます。また、商人はここで一日居座って、お客との商談にいそしみます。
貸しオフィスのようなものです。

商人といえば、この街は四川南部の宜賓方面に通じる陸路にあり、物資の集積地の一つでもあり、著名な宿場町でもありまし
た。四川から雲南にいく「馬幇」(マーパン)と呼ばれる荷馬キャラバンも、かつてはこの地を往来したものでした。また、
成都から犍為から宜賓までのルートは水路も盛んに輸送ルートとして使われていました。

竹製品といえば、四川から雲南・広東地方にかけて、竹筒で出来た水パイプが普及しています。竹筒の底に水を入れ、竹の枝
の差し口をつけ、そこに刻み煙草をのっけて火を点け、ぽっかり開いた筒の上方に口を丸ごと押しつけ、ごぼごぼ吸うのです。
このほかに、四川は葉巻たばこの名産地なので、キセルに葉巻を突き刺して吸うご老人もよく見受けられます。
そうそう、耳かき掃除屋さんもいて、金属の耳かきをチャリンチャリンいわせて客のあいだを回っています。

のんびりと耳を掻いてもらうのもオツなものですが、人によっては「ほら、こんな大きいのがとれましたよ」、といってぼっ
たくられたりします。その耳あかが偽物であることはいうまでもありません。

なお、茶館の二階は宿屋になっているところが多かったです。「船中楼客桟」(客桟とは、宿屋のこと)などという名が粋で
す。

羅城は鉄山という文字通り鉄鉱石の産出地を控え、石炭と塩の生産でも賑わいました。じつはこの陸上の船には甲板に鉄パイ
プがと通っているのですが、これば実は塩水の輸送パイプなのです。塩は先に金山鎮まで送られ、さらに重慶方面に輸送され
ます。そのような意味で、四川の塩の道にも密接に関わっているのです。

四川では南北でいえば四川から陝西を関中を経て結ぶルートと、四川南部の宜賓から南下して雲南に行くルートとともに、東
西では中国内地を長江沿いに連なる塩の道と、チベット方面に連なる茶葉輸送ルート(こちらは雅安近辺の茶山から二郎山、
巴塘、理塘、ラサ)というルートが、さしあたり古鎮相互の関係を理解するのに重要な交易ルートなのです。