四川古鎮行 その2 金山鎮


2008−01-02


以下、最初の訪問地、楽山市金山鎮にたどり着く前にしばらく旅日記です。

2月26日

中国での私の自宅のある雲南省大理市から夜行列車で雲南省の省都の昆明へ出ます。昆明駅近くの昆明飯店に宿泊。

2月27日
午後4時初の成都行夜行列車に乗ります。列車は金沙江沿いに四川=雲南山岳地帯を北上。荒涼たる黄土の丘陵を幾つも越え、
のろのろと列車は進みます。金沙江は100mほどの河幅があり、河面は灰色の濁水でした。

このあと列車は、チベット系民族であるイ族の本拠地である大涼山地区を横断します。いくつものループが造られ、トンネル
に次ぐトンネルを抜けて北上します。トンネルの入り口に、工事でなくなった方の名簿が石碑に彫られていたのが心に残りま
す。大涼山への入り口である西昌に着いたのはすでに夜中でした。風景も見えませんが、駅名に丸っこいイ族の文字が併記さ
れていたのが、少数民族地帯であることを示していました。

2月28日

峨眉駅で下車。
峨眉山に登り、報国寺参観。楽山市までバスで出て、犍為県に出る。ホテル宿泊、ツイン20元(約350円)。

3月1日

午前中は、楽山の大仏を見に行きました。岷江(長江の支流)、大渡河、青衣江が合流する地点にあります。
大仏は全長約71mで幅28mで、弥勒菩薩を彫ったものです。楽山大仏は、713年(開元元年)、当時頻繁に起こっていた水害を治め
るため、僧の海通が凌雲寺の崖に石像を彫り、海通没後、剣南西川節度使の韋皐が受け継ぎ803年(貞元19年)に完成したもの
(韋皐「嘉州凌雲寺大像記」)。四川ではほかにも大足の大仏がありますが、いずれも河の氾濫などの水害を防ぐ呪物として、
河畔に仏像を建てて鎮めています。実際工事で出た土砂を河中に投じて河底が浅くなり、水害が減ったといわれています。

犍為県からバスに乗り、楽山市内の五通橋区へ行きます。五通橋区の市街自体はどこにでもある地方都市という感じですが、
名前が面白いです。

明清代、この土地が塩の交易で繁栄していたとき、茫溪河上の石橋が建てられ、ここに商人たちの寄進で五通廟が建造されま
した。五通神を祭祀したといいます。この五通神というのは明・清代に江南・浙江・福建で盛んに祭祀された神ですが、じつ
は動物精の変化(へんげ)で、美男子に化して婦女子を誘惑するなど、有名な淫祠です。もっともこの地では塩の運搬に使う牛
馬を保護する家畜神であったかも知れませんし、五顕財神、五路財神ともいわれるように、商売繁盛の財神であったやも知れ
ません。ともかくも、五通神の名が地名に留められていることが興味深いところです。



金山鎮と劇舞台


金山鎮までは、五通橋区からバスに乗って20分くらいです。小さな個人営業のマイクロバスに乗りました。
金山鎮は、隋文帝开皇三(584年)、平羌县の治所となっています。四川はもともと岩塩が豊富に採れる地域です。
秦代以来、茫溪河流域は製塩業が盛んでしたが、金山、王村、馬踏井と、四川西南部の大規模な製塩三角地帯をなしていまし
た。明清代には、塩の運搬に使用していた水路沿いに随所に埠頭が造られ、倉庫が建てられていたそうです。茫溪河から岷江
を経て、四川南部の最大の都市、宜宾から重庆方面へのルートを通じて塩は搬出されていました(『五通橋新聞編
』:http://wtq.leshan.cn)。

金山鎮は、茫溪河沿いに国道を走り、石橋を渡ったところにぽつねんとありました。色とりどりの凧を掲げた露店に眼を惹か
れます。どこの街に行っても凧が売っているのが、四川の街の風情あるところです。

通り沿いはコンクリート建ての変哲もない街並ですが、木造民家の雑貨店がぽつんと曲がり角の両側に二軒あり、それを目印
に路地に入ると、そこには左右見事に茶色くくすんだような木造建築の街並が広がります。切妻部分の壁が、柱と梁の交差が
そのまま見えるように格子状になっているのが、四川民家の特徴ですが、それがはっきりと見て取れます。

街はメインストリート上の広場にある劇舞台を中心に左右に展開しています。

劇舞台は、かつて明代以来川主廟がここにあったそうです。「川主」とは「四川の主」の意味で、四川の地方志をみても各地
に川主廟の名が掲載されており、もっともポピュラーな地方神といえます。

川主は劉備玄徳のことで、そのほかに関羽、張飛・趙雲も祭祀します。趙雲を除いて三位のみ祀る廟も、全国にありますが、
この場合は桃園の契りをもとに、「三結義廟」と呼ばれたりします。この四位の神像と十八羅漢像は、文化大革命の時に惜し
いかな、河に放り投げられてしまったのだそうです(『中国古鎮遊─四川・重慶』陝西師範大学出版社、1993年:96頁)。

劇舞台は300年前のものとのことで、広場に台形状に出っ張っています。その向かいがかつての川主廟の神殿です。劇はもち
ろん神に奉納するものだからです。四川伝統の川戯は、一瞬の間に隈取りを換える秘伝の藝が見物です。これを「変臉」とい
います(映画『変臉』邦題「この櫂に手を添えて」は老いた川戯芸人と女の子のお話です・1986年 中国・香港作品《監
督:呉天明)。見事な屋根の飛檐が左右にそり上がって突き出しています。
文化大革命の影響でしょうか、舞台上は荒れ果てて、宗教的な要素はほとんど見られません。
おまけに舞台は、革命精神溢れる1960年に「金山人民劇場」と大書されたままです。屋根の軒下に絵が描かれた牡丹や蓮、柱
の横の板木にちりばめられたタイル細工は見事に花を咲かせています。ただ、六角形の窓の桟の飾りは、半分壊れたままです。

この舞台の面白いところは、通りの上にしつらえられているということで、舞台の真下を通行人は通ることになります。雨の
日や暑い真夏の夜など、格好の集会所となったのではないかと思います。川戯好きの「票友」たちもここで一くさりやってい
たに違いありません。

舞台の左右にも「過街楼」(通りを越えた渡り楼)となっていて、そのまま広場を廟堂に向けて囲む形となっています。この
過街楼も二階建てで、地元の有力者たちが二階に坐して、やんやと劇の見物をしていたに違いありません。

この過街楼は、じつは鐘鼓楼で、普段は時刻を知らせる鐘があるのですが、面白いのは月蝕のときに鐘を鳴らして空の陰影を
祓ったといいます((『中国古鎮遊─四川・重慶』陝西師範大学出版社、1993年:97-98頁)。月を欠けさせる存在は、天にい
る犬である「天狗」(ティエンゴウ)が月を呑むからだという神話的解釈が中国では各地に見られますが、おそらくはそう
した天狗祓いの意味もあったと思います(注参照のこと)。

廟会の劇の上演を日常生活の一空間として、廟の広場がそのまま街の広場として機能していることが、金山川主廟のいちばん
の面白みではないでしょうか。こんなところに、四川の古建築の奇抜さの片鱗を窺うことができるのです。


(注)─じつはこの辺りの峨眉山周辺の地域は、天狗祓いの神である張仙という地方神の信仰の中心です。白鶴山という山に
ある崇真観では挟仙楼といって、張仙の像があったそうです。弾き弓をもって天狗を祓い、禍事を散じたのであるとは、宋に
陸游(1125-1210)が自詩に題しています(川野明正「天翔る犬─大理漢族・白族の治病儀礼〈送天狗〉と〈張仙射天狗図〉に
みる産育信仰」『饕餮』第8号、中国人文学会、29頁-66頁、2000年9月)。
陸游『剣南詩稿』巻八に「山中小雨、得宇文使君簡、問嘗見張僊翁乎、戲作一絶」(「山中に小雨あり、宇文使君の書簡を得
るに、かつて張仙翁を見しかと問えり。戯れに一絶句を作る」)の詩があります。
その内容は、「張僊挟彈知何行、耜眄林但可聞、拾得鐵彈無處用、爲君打散四山雲」(「張仙、弾を挟みて何れに往くかを
知らず。清嘯の林を穿つをただ聞くべし、鉄丸の拾い得たるも用うるところなし、君のために四山の雲を打ち散ぜん」)とい
うもの。その自註で、陸游は「張四郎はいつも弾き弓を挟んでおり、人家に災いや疾病があるを見るならば、ただちに鉄丸を
もってこれを撃ち散ずる」としています。