四川古鎮行 その6 仙市鎮


2008−07-03


仙市鎮


「花発塩城驛道 春帰古鎮宗祠」(花は塩城驛道に発し、春は古鎮の宗祠に帰る・陳家
宗祠の対聯)

仙市鎮は、塩都自貢の水路、釜渓河上にある古鎮です。自貢より出発して仙市を通過
し、重慶方面に塩を運ぶのです。成都から自貢までは夜行列車に乗り、朝四時に到着。
一時間ほど待つと、マイクロバスに乗り込んで、山道を行きます。一時間ほどの道
程で仙市に着きます。

塩の輸送は、沱江・長江という航路を辿ります。『巴蜀古鎮・続篇』の著者、頼武氏
が仙市鎮の現地の羅雲貴老人(71)に取材したところによると、露天掘りの井塩を運
ぶため、かつて釜渓河は、井河と呼ばれ、一隻約十二トンくらいの積載能力である塩
の運搬船は河を下る際には推して進め、河を上る際には引っ張って進んみました。自
貢から姚壩・仙市・T角湾・周家湾・沿灘・演ニ井・太原井・搖ヨ・石馬湾など、十
あまりの浅瀬があったといいます。釜渓河は67qの水路に、かつては往復30日を要
したのは、押したり引いたりの人力に頼っていたからです。しかし、それが水門を設
けて運河として水利を謀ると、運送時間は圧倒的に短縮されるのです。1919当時3000
隻が塩の運搬に従事しており、1945年に至るもなお、2000隻の船がありました。水
門の水が満ちるのを待つために、各埠頭はいつも沢山の塩運搬船が停泊していました。
仙市は、自貢手前の埠頭として、当然沢山の船が集まり、繁栄していたわけです
(以上、頼武『巴蜀古鎮・続篇』成都・四川人民出版社、2003年:140頁)。

この中で仙灘と呼ばれるところが、今の仙市鎮です。玉皇大帝の娘が地上におりて遊
び、疲れて寝た場所が、この釜渓河沿いの仙灘と呼ばれるこの場所で、この街が「古
塩道の明珠」の誉れが高いのもむべなるかな、小さい街ですが、密度の濃い市街空間
を保っています。

仙市鎮に到着したのは、朝の六時で、一面に霧が立ちこめ、朦朧としています。 そ
のなかに、ひときわ目立つ朱塗りの門楼がありました。これが廟子口の柵門で、簡単
な構造ながら二階建てです。正街(主街道)はここから両側の青瓦の木楼街を次第に
くだった埠頭まで行きますが、そこにも朱塗りの柵門があり、鎮内にいくつかの柵門
があります。

これは見張りが警備に立つために、上方に橋状の渡りをつけたものです。廟子口の名
は、脇に江西廟があるが故で、今は機能していませんが、青瓦で輪郭なし、ぽっこり
盛り上がった防火壁が、気持ちよく衝きだしているユーモラスな建物です。

この脇にある井戸は、水道が普及したいまでも住人が宴席料理を作る際などは、ここ
から水を汲むという井戸で、しかも仙市の名の由来となった仙女の生殖器に当たる部
分という伝承があります。

正街の中程から、巷内を半月状に貫く半辺街という通りがあります。そこに入るとす
ぐに木楼の旅館が門を開いたばかりでしたので、ともかく半日部屋を取り、休憩しま
した。ベッド一つ10元という安さです。粗末な木の階段はかなり急で、狭い街中の
建物ならではです。昇るとぎしぎしきしみます。そのたびに埃が落ちてくるようなす
えた匂いがするのですが、それが古ぼけた木の香りと相俟って、いい感じです。

薄暗い漆喰塗りの部屋の中は、ひび割れた柱材が露出していました。格子戸を開ける
と、向うの建物も菱形にへしゃげてこちらと同じくらい御気の毒です。切妻面は、柱
と横木が格子状に柱材が外壁に露出していますが、これは四川東南部の福宝鎮などに
も典型的に見られる四川民居の特徴です。

また、屋根に小さな三角屋根の出っ張りを設けて採光を工夫している家も多く見られ
ました。軒は、壁から斜めに支え棒を衝きだしているのも、この街の建物の特徴です。

宿を出るとなお霧の中で、半辺街は馬三頭がすれ違えるくらいの狭い街路に、両側に
老家屋の軒先がひずんだまま、延々と霧に黒瓦の波を浮かべています。この家のひず
み具合がなんとも味があるのです。私の(中国の)自宅のある雲南省の大理古城も中華
民国の時代に地震が起きのですが、ひずんで倒れそうな家並みが、いつまでもほおっ
て置かれたままになっています。それが歴史を感じさせてよいのです。屋根には雑草
やらサボテンやらが生えたりもしている体たらくなのです(まあ、住民はあまりいい
気持ちではないのですが・・・)。

六時半ともなると、そろそろ人も出て来て丁寧に石畳を箒で掃いています。半辺街と
いうのは、湖南省西部から重慶市、四川東部までよく見られる形態の街で、山地にあ
る街では、両側に建物を建てる余裕がなく、一方だけに建物を連ねる形式なのですが、
名はその実にあらず、両側に家が建つのは、外側の街が後でできたのかもしれません
が、そんな感じもありません。行き止まりの路地などもあり、「羊肉巷」などとい
う名があるのは、畜肉業者がいた場所だったのでしょうか。

弓なりに路地を行くと、珍しい半円形の角店が現れ、雑貨屋らしいことがわかります。
それをなお過ぎると、薄灰の霧の中から、灰色の門楼が街路をまたいで現れます。
大きめの黒煉瓦建てに漆喰塗りの堂々たる門楼です。カマボコ形の洞口の内部上方に、
人が立てる位の木製の橋があり、極めて珍しい様式です。仙市の門楼や柵門は、い
ずれも警備に人が立つことができるようになっているのが特徴です。あたりはベンガ
ラの赤茶けた板戸で入り口を閉ざしている商家が多く、それでも椿や牡丹の鉢植えな
ど、住民が丹誠込めて育てた鉢植えが、朝霧に沈んだ街に生彩を与えているのでした。

その後ろには朱色の影が滲んでいますが、これはこの街に多い柵門の一つであること
がわかります。中華風の角形渦の模様を連ねて、静かなこの街に、ほとんど唯一の派
手やかな彩りを見せています。ちゃんと人が往来できるだけの幅があり、この街随一
の柵門です。その向こうは金橋寺の境内をそのまま突っ切って向こう側に出るのです。
寺とはいうものの、以前は天上宮と呼ばれる民間信仰の宗教施設です。境内には相
対するように、ここに観音殿と地蔵殿が半辺街を夾んで相対してありますが、この地
蔵殿は1949年(道光二十九)建立。昔の天后宮といい、航海安全の女神、媽祖を祭祀
し、福建人の集う会館でした。梁の彫刻に花草鳥獣や劇中場面を精緻に彫り上げて
います。河辺からみると、入母屋屋根の黒瓦が特徴的な宗教建築で、街に一際映える
建物です。

ここから半辺街からさら路地を入ると新街子という路地に出、やはり朱塗りの柵門が
そびえ立っています。このあたりが塩船の乗組員が休む船宿があったところです。こ
こから河辺に出ると、かつての塩船が接岸した小船埠頭なのですが、草むして今は往
事を留めてはいません。

さらに突っ切ってしまうと、釜渓河の河辺に出ます。新河街と呼ばれる河辺の道は土
がむき出しで、対岸は見えませんが、菜の花の黄色い色だけがミルク色の霧に溶け出
すようにいつまでもつづいています。街の端は中埠頭と呼ばれる昔の埠頭の一部です
が、ここにも朱塗りの門柵が建ち、朱塗りの柱の二階の欄干はすべて漬物用のザーツ
ァイが干してあります。この辺りの家々もそれにならったわけでもないのですが、一
連の黒煉瓦の壁面に延々とザーツァイを紐に吊して干していて、多少のおかしみも感
じます。いかにも四川の街らしい生活感です。

この辺りの埠頭は中埠頭といい、しっかりとした埠頭となっていて、数隻の船が泊ま
っています。仲良さそうに寄り添う二本のエンジュの古樹の枝の向うに、滲むように
霧の中から人影が揺らめき、杖を突いて散歩する老人や、朝早くに井戸端会議をする
主婦たちやら、霧中の河辺でひたひたと洗濯に精を出す婦人やら、一日の暮らしが今
日もはじまっています。洗濯物をちゃぷちゃぷ洗うたびに、墨を流したような霧の河面
に、波紋が小刻みに一つ一つ半円を描いて広がっていきます。

河沿いには南華宮・陳氏家祠などの宗教建築があります。

南華宮は、すべて黒煉瓦でできた、半円の防火壁が美しい建物です。かつての広東会
館ですが、いまはさきの金橋寺の大雄宝殿になっています。やはり対面は劇楼です。
1861年(咸豊十一)の建立。壁面に南無阿弥陀仏の六字が大書されています。門楼
をくぐると段々に劇楼、中庭、本殿とつづきます。陳家祠は、陳家の先祖を祀る祠堂
で、
1891年(光緒十七)の建立の陳家の歴史を記した石碑が残っています。祠堂
正面の壁には関羽の肖像が描かれています。三角状にとんがった防火壁が両側にあり、
そのさらに両側に物々しい飾りを彫刻した小塔が突きだしています。これがアール
デコ調というようなちょっとした洋風を感じさせて不思議な雰囲気です。

このほか仙市中学のキャンパスのなかに、川主廟があり、正街の柵門を出て左手に湖
広会館がありますが、今は使われていません。

正街は朱塗りの柵門をくぐると、あとはひたすら真っ直ぐに坂をなした街道です。お
おざっぱに青石板が敷かれた石畳の両側は、凸凹と揃わぬ屋根の流れと、矩形にひし
ゃげた木造建築が連なっています。

埠頭近くには鍛冶屋があり、手早くトンテンカンテン槌の音高く農具の制作に余念が
ありません。茶館は朝にはもう開いていて、朝茶をゆったり楽しむ老人たちで賑わっ
ています。でも、建物はあまりにもひしゃげており、談笑の声に誘われて、今にも天
井が崩れ落ちそうな不安感があります。そのほか薬屋、雑貨屋、洋服屋など、現代的
な商品と古ぼけた街並みのアンバランスが楽しい街です。

料理屋は鍋でおぼろ豆腐をつくり、美味しそうな甘い煙を立てています。富順県の名
物、豆腐花です(富順豆腐花)。このほか、川魚の唐辛子煮(重慶水煮魚)もこの街
の名物です。

正街が河辺に突き当たる辺りは埠頭になっています。ここでは櫓船が一隻、渡し船で
使われており、中年夫婦が渡し守を務めています。竹編みのアンペラが半円状に船の
上部にしつらえられて日よけとなっていて、潜り込むように乗船すると、対岸までゆ
ったりと手漕ぎで渡してくれます。

対岸に着くと霧に揺らめく菜の花畑越しに見える仙市鎮の全景を楽しむことができ、
防火壁と入母屋屋根が造りだす、円形や三角が積み重なって出来た複雑な街の輪郭が
面白い、幾何学的な立体感を見て取ることができます。

見やればそこはまさに仙境の市、人煙朦朧たる春の朝でした。