四川古鎮行 その5 洛帯鎮


2008−07-02


成都盆地東郊は、客家(ハッカ)人の居住地です。

客家人は、漢民族の下位集団(族群)の一つと考えられる民族集団で言語は中国語
の一方言である客家語です。中国(台湾含む)の国外で暮らす華人の人口の約3分
の2を占めています。学者・軍人・政治家が多く、シンガポールの李光耀元首相が
そうであるように、シンガポール華人に客家人は多く、台湾でも新竹・苗栗・桃園
など、客家人の居住地は多く、李登輝元大総統も客家出身です。

中国大陸では搶ャ平が四川省広安県の客家人です。ですから一時期世界の中国系の
指導者は、中国・台湾・シンガポールと、客家人が指導者であったわけです。江西
・福建・広東・広西など、山間部を中心に客家人の居住地があります。洪秀全(広
西省金田村出身)・孫文(広東省香山県〈現中山市〉)などが客家出身です。

もともと客家とは、「外来の人」という意味で、他称です。もとは中国北方に居住
し、南北期から唐末の黄巣の反乱の時期などの社会変動にともなって、中国南部へ
南下してきました。

福建省の山間部では、外部からの襲撃を防ぐために、「土楼」(円形は円楼、正方形
など四角形は方楼)と呼ばれる集合住宅を築き、まさに「一族一住宅」の生活をし
ています。

また、広東省や香港では「圍」と呼ばれ、城壁のような壁の中に村を築く習慣もあり
ます。この防衛重視の集住の習慣は、四川客家でも山間部を中心に居住したり、場所
によっては城壁で囲んだ村落を形成したり、八卦型の土楼民居をもつという形で窺い
知ることができます。

四川の客家人は、清代の初期に乾隆年間をピークに、江西・福建・広東などの地から
清朝の移民政策に従い、好むと好まざるとに関わらず移住してきた人たちです。豊か
な土地を望んで希望を抱いて移民してきた人たちも多かったはずです。四川客家は、
いまでも「老広東話」と呼ばれる客家語を話しています。四川省の東郊と北郊は、客
家方言が話されている方言島となっていて、東郊の龍泉山脈の麓、龍泉 区の38万
人の半分が客家人だといわれるます。康熙年間にはじまり、乾隆・嘉慶時期の移民が多
く、中華民国の時代は成都城内でも客家語が通じ、1950年代までは、五桂橋の河の
外側では客家語の使用地域であったといいます(蕭平『西部客家第一鎮─洛帯』成都
・成都地図出版社、2002年)。

移民社会としての四川の風土を象徴するものが、会館です。会館は明代から北京など
で造られています。もともと各地から来た官僚や科挙の受験者が滞在したり、出身者
同士が集う共同施設なのですが、四川はその地方での移民のコミュニティーの集会所
の性格の方が強い傾向にあります。それぞれ出身の省や街にゆかりのある神を祭祀し、
その神の誕生日などを縁日として祭が行われます。この日には神の御輿を担いで街
を練り歩いたり、劇を上演したり(もちろん川戯とは限らず、陝西会館では秦腔と呼
ばれる陝西地方の地方劇)、移民コミュニティーの結束には欠かせない施設です。

四川の会館の種類と出身者たちの関係を列挙しておきます。

湖北・湖南人 湖広会館・三楚宮・三聖宮・禹王宮 禹王を祭祀。
  江西人 江西会館 万寿宮 許真君を祭祀。
陝西 三元宮・真武宮・武聖宮  関羽・劉備・張飛を祭祀。
福建 天上宮(天后宮) 天后(航海安全の女神を祭祀)。
南華宮 南華老祖(六祖恵能禅師・荘子)を祭祀。
貴州人 貴州館 関羽を祭祀(すなわち関帝)。
浙江人 列聖宮 関羽を祭祀。
山西人 山西会館 関羽を祭祀。
雲南人 雲南会館 関羽・南大将軍を祭祀。
江蘇人・安徽人 江南会館 関羽を祭祀。
土着四川人 川主廟 李冰親子を祭祀(元祖二郎神)。
文昌宮 楊戩を祭祀(『封神演義』の登場人物、書中の二郎神)。

このうち最も多いのが、移民が最も多い湖広会館、次位が江西会館、三位が広東会館です。
データーを以下に示しておきます(資料来源:洛帯鎮江西会館の掲示図)

湖広会館 477ヶ所、34.07%
江西会館 320ヶ所、22.86%
広東会館 242ヶ所、17.29%
陝西会館 169ヶ所、12.07%
福建会館 116ヶ所、8.29%
貴州会館 49ヶ所、3.50%
その他  17ヶ所1.93%(山西6個、雲南5ヶ所、河南・広西各2ヶ所、江南・燕
魯各1ヶ所)

このうち江西と広東が客家の主な出身地ということになります。雲南は隣省ですが、
今ひとつ少ないのは、雲南も移民社会であり、商業の勃興が遅いという点などもある
と思います。山西がある程度あるのは、送金のための票号経営など、山西商人が中国
各省に進出していたためと思われます。

洛帯鎮の場合は、広東会館(南華宮)・江西会館(万寿宮)・湖広会館・川北会館の
四つの会館が現存しており、陝西省と山西省の移民が共同で建てた秦晋宮はすでにあ
りません。


広東会館

主街道を東に歩いてゆくと、緩い傾斜の黒瓦が連なる民家の屋根屋根越しに、突然三
重の半円形からなる防火壁(封火牆)のアーチと鋭くそりあがった屋根の庇が、二重
に眼に迫り、見る者を驚かせます。この巨大な防火壁こそ、この街のシンボルともい
えます。

これが四川客家人の会館で最大といわれる広東会館です。1746年(乾隆十一)には
じまり、民国初年の再建。三殿二天井といい、三つの建物に二つの中庭を夾む様式で
す。
入り口の左右の石獅子を見ながら敷居をまたぐと、黄色い瑠璃瓦が美しい、屋根の跳
ね上がりも雄々しい建物が、前殿・中殿・後殿と三段跳びに建物があります。いちば
ん奥は道教の最高神である玉皇大帝を祭祀しています。二階建て前殿は劇舞台ですが、
堂屋の扉と欄干の格子状の彫刻が立派です。


湖広会館

洛帯の湖広会館(湖南・湖北人の会館)は、最近入り口を再建したもの。1746年
(乾隆十一)気持ちの良い半円を連ねたデザインで秀逸です。紺のタイル貼りに三重のア
ーチを山の字描く壁面を持ち、アーチの下に、同じく半円のアーチを描く門扉が三つ
落ち着いた朱色に塗られて映えています。中央の門扉の上に「湖広会館」の匾額も朱
色に金字で厳かです。見上げれば、青地に金地の「禹王宮」と縦書きされた匾額の上
にひょいと飛び乗るように道教の最高神(三清)の一位である太上老君が、白い鬚も
豊かに、いかにも仙人といった感じで立っておられます。そうして左右に綿のように
雲を散らし、両端には金色の龍が首をもたげているのです。裏は立派な劇舞台で、黒
地の舞台に、金に塗られた劇中場面の彫刻、玲瓏たるものでため息がでます(劇舞台
はこの地の会館はすべて万年台と名付けられています)。

なかに入ると、中国のお寺の本堂、大雄宝殿の長方形の建物がカマボコ屋根に横たわ
り、質素ですが、石彫の花瓶模様など、やはり細かく、内部には半月状に湾曲した屋
根を下から覗くことができ、鱗状の瓦の整然とした並びが美しいです。


江西会館

主街道沿いにありますが、主殿裏手が通りに面しているので、路地からひょいと入りま
す。
立派な牌坊が主殿の前にそびえ立ち、双龍双鳳双麒麟の彫刻の上に掲げられた「万寿
宮」の三文字が誇らしげです。その反対側はやはり劇舞台です。前殿は湖広会館が朱
塗りの柱であったのに対し、黒で統一してあり、屋根下の彫刻板は、中国で福を意味
する蝙蝠(コウモリ)を多数描いた精緻なものでした。大きなガジュマルの樹が立ち、
その生い茂った枝には、健康祈願など、祈福のために樹神に寄せられた祈祷文と供
物の果物(プラスチック製)で一杯になっています。マンゴー・桃・リンゴと、この
樹なんの樹と思います。さぞかし霊験あらたかな樹神なのでしょう。江西会館は73県
所、320ヶ所に及ぶそうです。


川北会館

川北会館は清代の四川北部の川北道(保寧・順慶・潼川各府など。今の閬中・南充
・三台など)の出身者の会館です。1864年の建造。成都市内にあったものを2005年に
洛帯に移築しました。


巫家大夫第
民居建築は二つの中庭を持つ四合院である巫家大夫第をお勧めしておきます。人が住
んでいますが見学させてもらえます。乾隆年間の民居で、巫家13代の歴史ある住居
です。古風な門を潜ると、目の前に開けた広場のような中庭の向うに山形の端正な屋
根を持つ白壁に窓格子の円形模様も美しい家屋が姿を現します。
乾隆年間に始祖巫錫偉が福建から四川に入り、次男の巫作江が、永川から洛帯に移り
商業で成功して学堂を作り、これまで十人の科挙合格者を出したとのこと、巫作江が
没後「奉直大夫」の称号を得たことから、詔令によって大夫第を建て、額を賜ったと
のことです。


交通
五桂橋バスステーションから、219路バスに乗ると、ゴロゴロ轟音を立てながら馬力
不足のバスで延々と成都盆地を行き、約1時間で到着。