香港の古鎮 錦田吉慶園


2008−07-10


2008年2月19日から3月5日まで、香港経由で重慶に行きましたが、香港でまず客家人(北方から南方移住してきた漢族
の一族群)の伝統的な村である吉慶園を見に行きました。郊外の新界は錦田というところにあります。

錦田吉慶園は客家人の居住地です。新界の繁華街である元朗の近くにあり、地下鉄美孚(モービル石油の中国語表記です)で出
来たばかりのKCR西鉄に乗り換えます。しばらく地下を走って地上を出ると、新界の平原が開け、錦上路駅に到着します。

吉慶園は駅から歩いて7・8分のところにあるのです。元朗駅側の橋を渡り、住宅街を横目に小径を行けば、錦田路に出ます。
その路を越えた辺りに吉慶園に入る路があるのです。ところが私は路が分からず、しばしば錦田路辺りをうろうろ右往左往し
ておりました。

よくわからない豆科の樹木やら、バナナの樹やら、ガジュマルの大木を観て楽しんでいたのですが、外国人も多い新興住宅街
の中に、現地民の村落が点在していて、西欧建築と伝統建築の入り交じったエキゾチックな街並みなのです。

とくに祠堂村という村は、名前からして伝統中国という感じなのですが、ガジュマルの大木の下に土地神の祠がありました。
面白いことに、その祠を囲むように黄色と黒の帯で注意を促す警告の杭が打ってあり、「請勿遮擋神壇風水」(請う神壇の風水を遮る
ことなかれ)と書いてあります。言わんとするところは、「損壊風水」つまり、風水を壊すべからずという意味での保護棒なの
でした。よく「紫気東来」といいますが、よい気を迎え入れるのは、とてもデリケートな調整が必要で、ちょっとした変化で
風水は壊れてしまうものです。

ガジュマルの大木はおそらく村の樹神の意味があるのでしょうが、面白いのは生い茂った根本には、関聖帝君(関羽)と張飛の
神像が奉納してあるのでした。ミニ関帝祠の趣があります。これだけでも民間信仰上の興味を満足させるに十分でありました
が、その他にも、各村の路口には「南無阿弥陀仏」の六字を刻印した石碑が立っていることなども興味深い現象でした。土地
神の牌位があるところをみると、土地神を象徴した魔よけの意味があるのでしょう。

吉慶園の場所が分からなかったので、道路清掃をしているおばさんに訊ねました。この人は竹編みの平らな帽子に日よけの黒
い布を帽子の周に垂らしていて、一見して客家の人とわかったからです。とても親切に村の入り口の路口まで案内してくれました。
路口沿いの建物に、黒や橙色を入り混ぜた美しい煉瓦の壁で出来た切妻の伝統民居が数カ所残り、午後の日差しがつくりだす
陰翳が、煉瓦と煉瓦の間にしつらえられた吉祥模様の装飾を浮き立たせ、しばしば蔭の模様に見とれておりました。そこから
うねうねと小径にはいると、城壁が現れます。その城壁は四方に四角い物見櫓の保塁をともなっており、いかめしい風格です。

しかもその四方は堀まで整備されています。ただ、周囲は草むしており、いかめしい城壁も強者どもが夢の跡です。堀は溝さ
らいをしていないらしく、悪臭が漂っています。家電製品や玩具などのゴミも雑然と散らばり、そのうえを容赦なく朝顔の蔓
がはい回り、春先だというのに誇らしげに藤色の花を咲かせていたのでした。見上げれば、大きな大きなバナナの樹が、厳め
しい人工の建築物に対して自然の力を誇示するかのように城壁の前に緑蔭を広げていました。

とにもかくにも、吉慶園は真四角の城壁村落です。正門は城壁の中央にあり、橙色の紙に大書された対聯が、いかにも客家人
の伝統を誇示しているのです。
          門前には吉慶園の名を刺繍した三角の大旗が何本も翩翻としているのですが、これは新界の客家村はどこでも自村の旗を入り
口に立てているものです。ときには、北方の守護神玄天上帝をあらわす黒地に北斗七星をあしらった三角旗が立っていること
もあります。

新界では、客家村はよく圍という地名がついています。元朗近くでは軽便鉄道(ライトレールウェイという名の路面電車)の駅
がある天水圍などが有名です。

圍というのは、客家人の城壁村落のことを指しています。これは福建・広東各地にかけて、客家の住居が数百人も居住可能な
一族同居の形式をもつ土楼をもつことに通じています。

土楼は円形の円楼、方形の方楼などに分かたれますが、これらは土楼内部そのものが一つの住居です。香港の圍は、外観は方
楼に近いのですが、これは外観であって、内部は各戸の住居が無数の長屋状になって連なっています。

吉慶園は搦∴齣ーが集住している城壁で、北宋の時代にすでに新界の地に移住していたそうです。吉慶園はもともと1400年ご
ろには村落として成立していたようですが、城壁が出来たのは明代の末期(17世紀末)です。搦≠ヘ錦田の地でかなり有力な
一族で、このほか4つの城壁に囲まれた圍をもっていたといいます。1898年イギリスが新界を租借しようとした際に搦∴齣ー
ははげしく抵抗し、イギリス軍は、戦利品として城壁正門の鉄門を奪っていきました。その後1925年に住民の要求により鉄門
はようやく返還されています。

門は正面の一つのみです。正門の中には、土地神を祭祀する祭壇がありました。そこを抜けると閑そうな老婆たちが黒い日よ
けの布を垂らした現地の客家人特有の丸い編み帽子を被って待機していますが、これは観光客たちのために写真のモデルにな
っているのであって、一人10元ほど要求されます。これはもうお約束事になっています。じつは20年ほど前にもこの村に
いったことがあるのですが、そのときより値段は10倍くらいになっていました。それほど、吉慶園は香港で有名な客家住居
で、観光地化されているのです。

門をくぐるとそのまま真っ直ぐ対面の城壁まで、人がすれ違えるほどの幅の道が延びています。
突き当たりは祠堂になっています。おそらく先祖の位牌を置いたのだと思いますが、なぜか今は祖先祭祀を思わす痕跡はあり
ません。さまざまな神の名を記した位牌があるだけです。かつて村の防衛に使った旧式の大砲が展示してありました。

中心の道から左右対称に住居が林立する路地が伸びています。人は一人しか通れない極めて狭く、窮屈なものです。
住居は、いまではほとんどの住居が現代式の住居に建て替えられてしまっているので、趣きは半減してしまいましたが、それ
でも城壁内外にいくつか伝統式住居がみられます。

切妻式の簡素な住居ですが、壁面は橙色・灰色・黒色のとりどりの色の大柄な煉瓦で積み上げられており重厚で美しい印象を
与えます。屋根は黒色です。軒下の壁面にいくつか花鳥人物のレリーフをあしらったものもありました。家屋内部の母屋には
祖先の位牌を祭祀していますが、そのほかに観音菩薩を祭祀する家もあります。
また、なぜか門前に招き猫を祭祀(?)している家もあり、笑ってしまいました。

門の左右には春を迎える気持ちを表現した伝統的な対句である対聯が貼られていますが、これは広東省によくみられるオレン
ジ色に近い紅紙で、手書きの書法が墨跡鮮やかに書き付けられている所など、香港の市街部では滅多にみられない客家人の伝
統文化へのこだわりを示して余りあるものでした。

香港で有名な客家住居は、このほか新界の沙田にある曾大屋、地下鉄荃湾線の終点荃湾にある三棟屋博物館、K
CR粉嶺にある龍躍頭、香港島の地下鉄柴湾線の終点にある蘇屋などがあります。