坪山豊『唄袋の島から』 ─島唄アルバム その6

2007-12-23

坪山豊『唄袋の島から』名瀬:セントラル楽器、1997年、\3150



このアルバムは、名瀬のセントラル楽器さんのなみなみならぬ情熱でつくられ、「百年先へ唄い継ぐ」ことを目指した新しい
島唄の形を提示する意気込みに溢れています。

坪山豊さんは、奄美の唄者のなかでも異色の人といえます。なぜなら、坪山さんは唄の作曲に長けた方で、このアルバムも15
曲のうち10曲が、坪山さんの作曲した「新作島唄」だからです。新作島唄は、新民謡とは違い、シマグチつまり方言で謡われ
ているものがほとんどです。

坪山豊さんは、1930年南大島宇検の生まれ。奄美の他の唄者と同じく、堅気の職業をもっていて、本職は舟大工です。しかも、
伝統的な木造船の技術を知る方で、本職でも著名です。40を過ぎて突然島唄に目覚め、42歳で島唄デビュー。三味線を片手に
唄の由来をたずね、曲をつくり、幼稚園などで子供たちに唄を聞かせ、島唄の復興に奔走します。「音の記憶は大きくなると
里帰りする」という坪山さんは、子供の頃に聞いた島唄の記憶が、成長してから島唄に目覚める種となることを願います。事
実坪山さんは多くの唄者を育てた名伯楽でもあります。

このアルバムに収録された代表曲を紹介します。

「綾蝶節」(あやはぶらぶし)=奄美では蝶は人の魂ともいわれていますが、島を出て行く若者に「待ちゅらば来よ、戻てぃ来
よ」とうたいかける唄です。「いつの日にか島に戻っておいで」というメッセージソング。

「眠れよイマジョ」=イマジョとは小名瀬(現瀬戸内町)の美女で奉公人の家人(ヤンチュ)として売られたが、美貌が災いし、
いじめられて殺される。その怨みが今にも伝わり、幽霊といえばイマジョと呼ばれるほど恐れられている。イマジョの霊に語
りかけ、安らかに眠るように祈る文字通りの鎮魂歌。

「ワイド節」=坪山さんの代表曲。「ワイドワイドワイド全島一ワイド 我きゃ牛ワイド 全島一ワイド」。以上三曲は中村
民郎さん作詞です。中村さんは坪山さんの奥様の親戚で、病院でレントゲン技師をしていて、詩をつくり、坪山さんのところ
で曲を作るというコンビでした。
坪山さんは、1978年徳之島で闘牛を見て、一気に曲のイメージが湧き、次から次へと唄が出来るようになったといいます。唄
袋とは、まさに坪山さん自身のことでもあります。

「砂糖つくり節」=「島ぬ弥生や 黍植ぬじきじゃ、兄や畠耕(はてう)ち じゅう(父)や畝きり、姉や種剥ぎ、あんま(母)や
植えかた、ウーレウレウレ あんまや植えかた、アドッコイサッサ コラサッサ」。一家総出で砂糖を作る労働を謡う唄。五
番まで謡うと、黒砂糖の完成までいきます。今は昔の島民の生業を唄にしています。

坪山さんは、奄美の諺、「話半学、唄半学」をひねって、「唄全学」だといいます。薩摩時代に文書を焼かれた奄美にあって
は唄の伝承にこそ歴史が記録されているからで、その唄を調べと背景が見えてくる。それがそのまま学問だという主張です(H
P『奄美んちゅドットコム』のインタビューより。http://amaminchu.com/entertainment/interview009_p2.html参照)。

坪山さんの唄には、郷土愛と、生者と死者とに関わらずに寄せられる深い優しさと慈しみの情に溢れています。
それだけではなく、想いは徳之島や沖永良部など、奄美から南の島にも及んでいます。ワイド節など徳之島の人たちに、昔か
ら伝わる島唄だと思われていますし、このアルバムでは「永良部の子守歌」が沖永良部の唄で、指笛も盛んに取り入れられて
おり、沖縄方面から吹く「南の風」(パイヌカジ)も十分に感じます。

先日12月9日、東京の國學院大學で行われた「東アジア歌掛けサミット」で、坪山豊さんはお弟子さんの一人、潤さつきさん
とともに島唄の公演をされました。私はこの機会に坪山さんにお会いして、CDに署名を頂きました。たいへん鄭重に、ジャケ
ットに「ありがとうごさいます」と書かれていました。思った通りのやさしいお人柄を感じて感激しました。

アルバム収録曲
1.綾蝶(あやはぶら)節、 2.砂糖つくり節、3.後悔、4.ばしゃやま節、5.永良部の子守り唄II、6.晩酌ぐゎ、
7.眠れよ いまじょ、8.ワイド節I、9.うらとみ、10.旅や浜宿り、11.アダンの画譜、12.餅貰、13.味じまん、14.天ぬ白雲、
15.ワイド節U