朝崎郁恵『うたばうたゆん』─島唄アルバムその7

2007-12-31


朝崎郁恵『うたばうたゆん』2002年 ユニバーサル UICZ-4011 \3,059

朝崎郁恵さんの『うたばうたゆん』(「うたをうたいましょう」の意味)は、三味線を廃して高橋全さんのピアノ伴奏でじっく
り唄を聴かせるアルバムです。

北大島の「カサン」(笠利)節でもなく、南大島の「ヒギャ」(東)節でもない、朝崎さんの唄が「朝崎節」であることの理由は、
この人の唄を聴く人は誰しも考えることだと思います。



その理由はもちろん彼女の不動の個性ということのほかに、いろいろの理由があろうかと思います。

お父上の朝崎辰恕さんの出身地が、喜界島で、父方の親族から伝えられ、標準語化運動で危機に瀕した喜界島の島唄の古い形
を留めている唄を知っているということもあるでしょう。

人生の大半を東京で過ごした坂元豊蔵 さん(1894〜1977)と同じく、ご主人の転勤で福岡、東京に出て50年近い年月を過ごさ
なければならなかった朝崎さんも、そのままかつての島唄を時代の変化に曝すことなく保持してきたという理由もありましょ
う。

さらには家族の記憶、シマの記憶を鮮やかに長い年月を越えて保ちつづけているという理由もあると思います。

朝崎さんかよく歌う「千鳥浜」は、母がよく謡っていた唄といい、「おぼくり」は「おじいちゃんがよく歌っていた歌」で、
「徳之島節」は、父の朝崎辰恕氏から習った唄といいます。「うたばうたゆん」の増渕英紀氏のライナーノートは、朝崎さん
のインタビューを記録しており、朝崎節の来源を知るに貴重な資料となっていますが、とくに影響を受けたのは、「おばあち
ゃん」の唄だそうです。

「素朴だが独特のグイン(節回し)があってウマイ」「『あさばな』ひとつとってもいろいろな節回しがあって、その場のノリ
で変えてゆく」(こういう器用さは、「諸鈍長浜」をまったく別々の曲調で謡い分ける朝崎さん自身にも伝わっているはずで
す)「嬉しいときや悲しいとき、歌を歌って楽しむ以外娯楽がなかった」から「喜怒哀楽の表現に長けていた」

というおばあちゃんの唄を子守歌代わりに聴いていたといいます。

朝崎さんの御家族との間には、2007年亡くなった同じ島出身の島尾敏雄夫人、ミホさんが、御母上、御父上と夫でさえ近づき
がたい極めて深い心の紐帯で結ばれていたことなどとも通じる血縁感情があるのだと思います。ミホさんの作品の描くシマの
深い民俗的な世界と、朝崎さんの謡う土俗的な唄声とは、相呼応する「何か」を強く感じます。

家族の記憶から謡われた唄ということが、朝崎さんの唄の今日的な貴重さだとおもいます。それは「シマ」つまり集落の共同
体の記憶を謡うということにも通底しています。
「おぼくり」(古い島の言葉で「ありがとう」の意味)は家の新築を言祝ぐ歌詞ですし、「おぼくり」「千鳥浜」は八月踊り
でシマ(集落)の人たちが輪になって踊る唄です。「唄半学」という諺が示すように、唄が謡えるということは、知識に長けて
いるということですし、否応なしに敬われるものでもあったようです。

「隣の集落と水争いや土地争いが起こった時には、掛け唄で競い合って決着をつけた」

そうですから、秋田県の金沢八幡宮で行われる掛け唄比べが勝負をつけるのが目的であったのと通じて、シマとシマとの間の
利害関係の調停の意味すらもっていたことなど、証言として大切な島唄の社会的な役割を示しています。

昔の奄美では、唄には唄の力があり、そのような唄の呪力も信じられていたに違いありません。たとえば、古琉球では戦争に
なると巫女が軍隊に先立って、呪法を掛け合って戦ったといいます。そんなまじない唄としての力が、奄美の唄にはあるので
はないかと思います(参考として、次の文献をあげておきます。勉強になります。小川学夫「奄美」における伝承的呪詞の表
現形態」『鹿児島純心女子短期大学研究紀要』第35号、2005年:53-72頁)。

そのような唄の呪力は、神に対して謡い呼ぶ神女ノロの役割に通じるものだと思います。

この観点から、もっとも印象に残った唄を三つ挙げると、「嘉徳ナベ加那節」「上がる陽(ゆ)ぬ春加那節」「太陽ぬ落てぃま
ぐれ節」となります。

「嘉徳ナベ加那節」

「嘉徳ナベ加那や如何(いきゃ)しゃる生まれしちが、親に水汲まち、いちゅて浴(あ)めろ」(嘉徳なべ加那という女は何
と親不孝な生まれをしたのだろう、大切な親に水を汲ませて平気で浴びるとは)

という唄ですが、これまで親不孝の代表者のように言われてきた女性の唄です。ところが、金久正『増補版:奄美に生きる日
本古代文化』(至言社、1978年)などにじつは神高い人で神に仕える聖性をもっていたから親が水を汲んだのだという説が立
てられ、近年名誉回復がなされています。この曲も神々しく歌われ、ノロガミサマのイメージで謡っているようです。

「上がる陽(ゆ)ぬ春加那節」

春加那は神話上の神女です。名瀬の唄者西和美さんの解説によると、この唄はノロガミサマの祭祀の折、もともと太鼓だけで
女性たちの場でのみ謡われたといいます(『西和美公式ホームページ』「かずみの島唄解説」)。「てるこから下りて」「ど
この村の稲神様か」という歌詞のとおり、天から稲魂を将来した天女を謡う神々しい唄で、朝崎郁恵さんも「神山に上がって
山籠もりして村に下りてきた祝女を歌ったもの」といいます。

「太陽(てぃだ)ぬ落(う)てぃまぐれ節」

「日の沈む間際」の意味。カラスが鳴いたことが、愛する者か私の身の上の不幸の兆かと心配して、霊能者のユタに訊いたら
なんでもないといわれた、という内容で、民間信仰に根ざす唄。カラスを不吉と見なす俗信を謡う点で、内容的に珍しい唄だ
といえますし、「あの街この街」「夕焼け小焼け」などの童謡にも通じて、夕暮れ時の逢魔が時の不安感にも通じ、カラスを
シンボルとして原初的な不安を指し示した唄として聴くと、妙に惹かれるものがあります。

さて、ここまで書いてきて、思うことは、朝崎さんの唄の最根底にあるものは、神に対して謡うという交感的な姿勢ではない
かということです。

鹿児島民俗学会編『かけろまの民俗』(東京:第一法規、1970年)という本を紐解くと、加計呂麻島の集落には、神山であるオ
ボツ山(沖縄のウタキに相当)があり、部落での異変は、オボツ山の奥で鉦が鳴って人々に知らせ、祭事には神は神山からカ
ミミチを通って降臨します。カミミチは集落の中心の広場の祭場にある神の住む建物、アシャゲに至り、そこにはノロが神
を請来するためのトネヤもあり、アシャゲやトネヤの屋根葺きをした日にも、オボツ山の奥で鉦が鳴って神が降臨するのだ
そうです(130-131頁)。

たとえば、「上がる陽(ゆ)ぬ春加那節」は、神唄に奄美民謡の原型をみる考えからすればいちばん相ふさわしい唄というべ
きでしょう。朝崎さん自身も

「記憶では故郷のトゥネヤ(宗教的な儀式を行う場所)で神を呼ぶときに唄っていた唄に大変似ている」(ユニバーサル、
「うたぱうたゆん」HP、高橋全さんの解説)
と、この唄がノロが神様を呼ぶ神唄(オモリ)にもっとも近いとみています。
朝崎さんはノロの神歌について、子供の頃の記憶をはっきり憶えています。

「旧の十月には瓶に作った手作りのお神酒を用意して、白装束を纏った巫女(ノロ)さんがトネヤで神様を呼ぶ儀式があって、
その神様を呼ぶ神唄(オモリと呼ばれる)が聞こえてくるんですけれども、裏声を使ってとってももの悲しいですよね」(『か
けろまの民俗』によると、白装束はカミギン、白鉢巻きはカミサジなどといい、さらに沖縄のノロがトウヅルモドキの冠をさ
らに頭に被るのと同じく、加計呂麻島ではキイカヅラを輪型にしたカブリカヅラをかぶるそうです)。

つまるところ、神と交感する際にノロの発する時空を突き破るかのようなもの悲しい裏声に、朝崎さんは唄の原点を見ておら
れるのだと思います。浜に立って唄を謡う時、風が来て、波が荒々しくなり、波風が立つという朝崎さんは、そうしたノロの
神を呼ぶ唄の根源的な力、つまりは言霊の力を信じておられることはいうまでもないことだと思います。

なお、濱田康氏のCD付写真集『奄美 島唄の旅 うたばうたゆん』毎日新聞社刊行があり、別テイクと朝崎さんへのインタビ
ューが収録されています。 2,500円 毎日新聞社刊

収録曲目

1. おぼくり〜ええうみ
2. いまぬ風雲
3. 徳之島節
4. 〜Interlude〜朝顔節
  「サウンドスケープ〜奄美・加計呂麻島・徳浜」
5. 朝顔節
6. 嘉徳なべ加那節
7. 上がる陽ぬ春加那節
8. 〜Interlude〜おぼくり
  「サウンドスケープ〜奄美・加計呂麻島・徳浜」
9. 太陽ぬ落てぃまぐれ節
10.よいすら節
11.千鳥浜