朝崎郁恵『うたあしぃび』─島唄アルバムその5


2007-12-09

朝崎郁恵『うたあしぃび』東京:ビクターエンターティメント、2003年、2600円



タイトルが「唄遊び」を意味するのは、偶然ではなく、奄美の街や村に夜ごと聞こえる三味線の音に、しわがれた声で男女の
掛け合う謡い声が聞こえる「唄遊び」と、現実に重ね合わすことができます。

朝崎郁恵さんは、加計呂麻島花富(けどみ)の出身。つまり島尾敏雄の小説に出てくる「カゲロウ島」のことです。1935年生
まれですから、67歳でこのアルバムを吹き込んでいることになります。ご主人の転勤とともに島を離れて40年、横浜在住です
が、老人が唄を謡うというこのアルバムのコンセプトからいえば、朝崎郁恵さんは、いまでも夜な夜な唄を交わす人々と遠く
に離れているわけではありません。

誰にも似ていない朝崎節が、ワールドミュージックと交感する。それがこのアルバムのコンセプトに違いありません。

枯れて枯れた土の声。この人の唄を聴くことが出来る人と聴くことが出来ない人に二分されるはずです。島唄界のフジコ・ヘ
ミングといってよいと思います。しかし奄美の唄は、老人が謡う年寄りの唄という側面はたしかにあり、このアルバムからは
若い唄者では容易には表現できない「何か」は確実に感じ取ることができます。その情念の深さを想います。

私が感じたその「何か」とは、一つは「喜」、一つは「哀」、一つは「神」ということになります。


「喜」

アルバム最後の曲「六調」は、奄美の旧暦8月に奄美の各シマ(村落)で行われる八月踊りの踊り唄です。歌詞は大和言葉で、
一聴して阿波踊りと同系統のものであることがわかります。ライナーノートの朝崎さんのコメントによると、奄美の「六調」
は、九州は天草の「ハイヤ節」の流れということです。このような大和唄の六調の踊り唄の流れは、八重山にもあります。た
とえば、大工哲弘さんの『ジンターナショナル』に、テナーサックスの梅津和時とタイアップした凄まじくアナーキカルな八
重山『六調』が収録されていますので興味がある方は聴いてみてください。いずれにせよ、手踊りを基本とする六調は、カチ
ャーシのある沖縄本島を素通りしているようです。

八月踊りのハレの日の有頂天な踊りの楽しさというものが、晴れがましく歌われ、早口の大和言葉のお囃子、「ヤレヤレヤレ
ヤレヨイヨイヨイヨイ」などとともに、奄美にも影響を与えた日本の歌謡の伝統と民俗に対する一つのオマージュとなってい
ます。

東北の土俗的な音文化をシンセサイザーに取り入れた姫神の星吉昭・星吉紀親子のいかにも姫神的なサウンドが、たいへん調
和がとれていると感じるのは、ライナーノートの筆者である増渕英紀さんが指摘するように、奄美の唄にも流れているヤマト
唄の流れが、「ハイヤ節」から「佐渡おけさ」、「津軽アイヤ節」へと、東北に至るもう一方の流れとも通底しているからで
しょう。

そんな日本人が祭りの日に誰しもが陶酔したハレの日の喜びは、このアルバムにも「豊年節」などの唄が他にもあるように、
奄美島唄の持ち味である「哀」(哀調)に対して、もう一方の情緒として際だっているように思います。

注目すべきは、朝崎さんが取り上げている「六調」は、じつは加計呂麻島のそれではなく、叔母の出身地の喜界島の六調で、
今は現地で謡われなくなったそれを再発掘したということです。このような発掘は、お父上で、加計呂麻島で鍼灸師をしてい
た島唄研究家である朝崎辰恕さんが,沈没した嘉義丸の生存者を治療しながら作詞・作曲し,島の集会所で発表したもの「嘉
義丸の歌」を、再現したことなど、彼女しか知らないかつてのシマの唄の記録という点でも貴重です(アルバム『おぼくり』
収録)。「嘉義丸の歌」は「十九の春」と同じ根をもち、日露戦争の頃に生まれ全国的に流行った「ラッパ節」を源とするも
ののようです。このアルバムでは、他に天の星に恋人との忍び会いの含羞を託した「ティクテングワ」や加計呂麻島花富の「子
守歌」を取り上げ、後世への記録としています。


「哀」

別れ唄の哀しみは、この人の唄では徹底しています。音程もはずれたような枯れた声が、哭き唄の啜り泣きを思わせる絶唱に
まで高まるような、そうした深みをもった別離の情が唄に織り込まれています。ここに朝崎さんの唄の真骨頂があります。

「行きんにゃ加那」の

「行きんにゃ加那 吾きゃくとぅ 忘れて 行きんにゃ加那」
 (私のことを忘れていってしまうのですか)

という謡いだしは、奄美島唄を代表する別れの場面ですが、とくにこのアルバム収録の作品で、「行きょおれ」は、

「別れてぃや 行ぢむ 忘れてぃや 給んな 行きょおれよ」
 (別れて行ってもどうか忘れないでください。行ってください)

と謡っています。島を離れるということが、永遠の別離を意味したかつての旅立ちの厳しさを背景にした唄です。そして、そ
の永遠の別離は、死別の体験につまるところは通じているのです。

「なごびりゃぬ 峠に白鳥ぬ いちゅり 行きょおれよ 白鳥やあらぬ みよ 亭主が魂 魂行きょおれよ」(なごの峠に白
い鳥がとまっています。あれは白い鳥ではありません 見て下さい。私の亭主の魂です。魂よ、行ってください)

とこの唄は謡うのです。

この唄は、「稀まれぬ 便り 持たち 給れ 行きおれよ」(ときどきは便りをください)という言葉で終わるのですが、これ
はじつは死者が残された生者を見守って欲しいという願いを語りかけているのです。
つまりは永遠の別離の哀しみを圧して、死者の魂を送り出す魂送りの唄なのです。究極の別れの哀しみは、死に裏打ちされて
いるということを確認させてくれるのです。
巷には数多の青くさい別れ歌が氾濫していますが、そうでなくして、別れの哀しみとは、本来は永別の哀しみであり、それが
別れ唄の原点であることを知ることができます。


「神」

かつて琉球国の祭祀を司っていた巫女、ノロが神に向かって語りかける祈りの唄声を思わせる、そうした瞬間が、この人の唄
にはあります。

旧暦8月に奄美の各村で行われる八月踊りの唄である「今日のほこらしゃ」で謡われていることは、琉球弧の島々にそれぞれ
語られてきた島建ての神話の断片です。

「昔親ふじや島だてぬわるさよ ハレ 加那が島 吾が島。加那が島 吾が島 島ちぎゃさありばよ。ハレ はよ 吹きゃに
やちゅんば」
 (「ご先祖さまは島建てが悪く、加那が島とわが島を別れ別れにしてしまったのです」)

この一節がそのような神話の断片に当たります。

この唄では、三角形の底辺近くが一気にひび割れたような大島と加計呂麻島との関係に、大島の恋人のもとに舟で忍び通う男
女の思いが託されています。

実際沖永良部島では島建ての神話である「島建てシンゴ」が先田光演氏によって発掘されています(『沖永良部のユタ』海風
社、1989年参照)。神話が男女の情愛を宇宙論的な広がりから再配置しているともいえます。

アジアの諸民族で行われている歌掛けの歌詞は、ほとんどがそのような神話的な象徴論のもとで愛が語られていますが、その
ような唄のもつ宇宙論的な広がりから、人々が日常祈りを捧げる神の姿が垣間見えるのです。


最後に、男女の忍び会いを謡った「曲がりょ高頂(たかちぢ)」は、激しいドラムのリズムを伴っていて、これだけは唄本来の
含羞を殺しています。弱冠19歳で、このアルバムの「豊年節」にレゲエを取り入れて成功させた美音志さん(ピアニスト、ウォ
ン・ウィンツァンさんの息子)のアレンジは、この曲の解釈についてだけは、納得がいかない思いで、残念です。