奄美島唄「豊年節」─植民地ということ

2007-10-11


奄美の島唄には「凄いな」と思わせる唄がいくつかあります。
そのなかで、豊年節に唱われる「豊年節」という曲は、じつは収穫の喜びを唱ったものではなく、薩
摩船の来航を喜ぶ唄なのです。


イヨーハーレー
西(にし)ぬ口(くち)から 白帆(しらほ)や
巻(ま)きゃ巻(ま)きゃ来(きゅう)り ヨイヨイ
蘇鉄(すてち)ぬ粥汁(どがきがい)や 半(はん)くぶせよ
うとぅめましょ ナロヤ
ヤーレ やらせば またこいこい


イヨーハーレー
線香(しんこ)ぬ無(ね)えんだな
  松木(まつぎ)の葉(は)ば線香(しんこ)ち灯(とぅぶ)ち ヨイヨイ
山川観音丸(やまがわかんのんまる)
二番(にばん)漕(く)ぎ願(ねが)おう ナロヤ
ヤーレ やらせば またこいこい


[歌意]

北の入り口から白い帆をはらんで薩摩の船がやってきた。
蘇鉄の粥などひっくり返してしまえ、
線香がなかったら松の木の葉っぱを線香代わりに灯して、
山川観音丸が年に二度渡りしてくれるよう願おう。


かつて奄美は薩摩の支配下におかれ、サトウキビ生産地として管理されていました。
そのなかで、人々は奴隷同然の重労働を強いられ、食糧を自給自足することもままなりませんでした。
米の生産はできず、薩摩船が来航して米や食糧を供給するという、異常な生活条件です。
蘇鉄は、飢饉に対する準備で島に植えられた救荒植物ですが、実には毒があるので、丁寧に剥いて
毒抜きをして、澱粉を食用にしたのです。
島の老女はまだ蘇鉄の実の澱粉の取り方を知っている人も
いるそうです。

この唄は南大島の瀬戸内地方の一部に歌い継がれてきた唄とのことで、楽しげな明るい曲調に、
これで餓えに苦しまないですむ。という島民の歓喜の気持ちが率直にあらわれています。
支配者である薩摩の船の来航を喜ばねばならない、極限の生活状況に置かれた島民の気持ち
を考えるべきでしょう。

生きていけるということの喜び、それを支配者の船に依存しなければならないということに、
奄美の植民地支配の歴史の哀しみがあります。
明るい曲の裏に、誰しもがそのような植民地の悲哀を感じるに違いありません。
奄美は再来年、薩摩侵略400年を迎えます。
奄美の唄は、叫びが込められています。

それを聞く耳を、これまで我々ヤマトの人間のどれほどがもっていたのでしょうか。
植民地という支配のあり方と歴史を考える上で、奄美は日本の歴史経験の原点である
ことは間違いありません。


追記

「この唄を豊年節に唱う理由はわからない」と恵原義盛さんは『奄美の島唄』(海風社、1988年)
で書いていますが、もしかすると海の彼方から恵みをもたらす「ユー」の観念も投影されているの
かもしれません。