朝崎郁恵 シマウタライブ 4月25日 「月見ル君想フ」にて

2008-06-25


[朝崎郁恵さんのこと]

一人のおばあさまの追っかけをすることにしました。

4月25日 ライブハウス「月見ル君想フ」に奄美の唄者、朝崎郁恵さんの月例ライブに行きました。雨のふりそぼる青山を
急ぎ足でいきました。なにしろ朝崎郁恵さんをライブで拝見するのははじめてなので、気持ちが昂まっていたのです。

朝崎郁恵さんは、1935年、奄美大島加計呂麻(カケロマ)島生まれ。ですから今年で御年73歳!!というお方です。
枯れた土俗的な歌声が私はすきです。

3歳年上のフジコ・ヘミングさんや亡くなった日本画家の小倉遊亀さん(1895-2000)をも彷彿させるようなアクの強い個性、
やさしさと芯の強さを兼ね備えたかのような老女力に私は否応なく惹かれます。

若い頃から本土に出てこられたので、奄美民謡の古い唄い方を残されている方ですが、ピアノばかりでなく、シタール、
ガムランといったワールドミュージックなどのアレンジも加えた新しいシマウタの試みを数多く挑戦されています。

月例コンサートは満月の夜にすることになっていて、毎回趣向が違うのですが、今回は特に三味線のみでのライブです。
シンプル・イズ・ベスト、というか、生の朝崎さんの唄を聴くのに、いちばん適した趣向であります。
共演は朝崎郁恵さんの四人の愛弟子たち。


[出演の方々]

タナカアツシさんは奄美三世で東京在住。お爺さまは喜界島の方。
奈良大介さんは兵庫・芦屋出身アフリカ音楽に造詣が深く、西アフリカの楽器DJEMBE(ジャンベ)奏者なのですが、三味線も上
手な方です。お二人はユニット「マブリ」(魂)でも活動されています。
新原恭子さんは東京生まれの歌手。もとはポップスのグループのボーカルでした。
徳原大和さんは、朝崎郁恵さんの故郷加計呂麻島の出身で、2005年朝崎さんが現地でスカウトした方とのことです。


[ライブ前半]

ライブは前半のお弟子さんたちのシマウタ披露と、後半の朝崎さんの唄の二部構成でした。

まずは4人の三味線と唄掛けで、「朝花」、「一切朝花(ちゅっきゃりあさばな)」からはじまりました。


ジャンベを足にはさんで熱唱の奈良大介さん



奄美の唄三味線は、譜面がなく、それぞれの奏者が自分の奏で方があるので、4人の連弾はまず例がなく、お弟子さんた
ちならではの趣向で驚きました。奄美で夜ごと開かれる唄遊び(うたあしぃび)は、神の引き合わせで出会いを喜ぶ朝花節で始
まるのですが、ながながとつづく「一切朝花」を聴くことができ、はじめから感激しました。

マブリのお二人が、「いきゃびき」「正月着物(ショウガチギン)」(別名「ショウライ」)「はまさき」
「千鳥浜(ちぢゅりゃはま)」を歌い上げます。奈良大介さんのジャンベは、不思議と奄美のシマウタにも良く合います。
タナカアツシさんの三味線は、鋭くリズムを掴んだ音色で、朝崎さんのCDで「お見事!!」と快哉を叫ぶほど程好きな三味線
なのですが、唄ははじめて聴きました。
男性がシマウタを唱うと高音と裏声で中性的な印象で、どこか非日常的な聖性の領域に突き抜けてゆくような思いを抱きます。


[徳原大和さんの「ムチムレ」]

徳原大和さんと新原恭子さんがコンビを組み、「ホーエラエ」「ムチムレ」「らんかん橋」「長雲節」を披露。

「ホーエラエ」「ムチムレ」の「ムチムレ」はおめでたい餅貰いの唄。

種籾を水に漬ける種下ろしは、水稲作の最初の仕事なので、奄美でもまつりの日であったとは、小川学夫氏の解説です。

シマの若い男女が異装をしたり、ほほかむりをしたり、趣向を凝らして各戸を行列して練り歩き、餅を貰うのだそうです。
(『奄美シマウタへの招待』春苑堂出版、1999年:78頁)。

徳原大和さんは、三味線とチヂンン(太鼓)を同時に鳴らす超絶技巧を披露したのですが、そんな技はアメリカの黒人ジャズ
奏者、ラッサン・ローランドカークのサックス同時二重奏にも匹敵する衝撃でありました。


[ライブ後半・朝崎郁恵さんのステージ]

後半になり、朝崎郁恵さんが舞台に上がられました。グレーの大島紬の着物に、草の頭飾りで髪を結っておられ、これで白着
物を羽織ればまるでカケロマジマのノロガミサマという出で立ちです。



朝崎郁恵さんのステージ姿




この日は、その曲にあった三味線の音色にあわせてうたいました。

「いそかな節」「まんこい節」唱われ、奈良さんのジャンベ、徳原大和さんの三味線をバックに、全身を絞り出すかのような
声に驚きます。CDだけではわからない気迫を感じ、73歳の方の御声とは信じられません。私がこう書くのもおこがましいとは
思いますが、こまやかに自在な変化に富む節回しは、おばあさまや集落の人々のの唄を聴いて育った朝崎さんならではの唄い
方で、今の世代の人にはなかなか難しい臨機応変の個性が、一期一会の唄の場に生きています。


[徳之島節]

次に「徳之島節」「長雨切りゃがりゅり」を唱われ、新原恭子さんが三味線を弾かれました。

朝崎さんの「徳之島節」は、徳之島へ飛ぶ蝶に恋人への伝言を託す歌となっていて、蝶を意味する「アヤハブラ」(綾模様の
ある蝶々)の不思議な霊力を感じさせる唄です。元は病人を慰める夜伽(トゥギ)唄や、出立に歌われた唄で、節じたいに呪
術的な意味深さが込められているのを感じます。


「ハレイ徳之島向かてぃ、飛びゅる綾蝶々(アヤハブラ)、 スラヨイヨイ、
  一時待ちんしょれヤレ、伝言ぐゎマタ頼も頼も
(お囃子)シカタヤネンドネンド センマティアゴグヮ」


「ハレイ飛びゅる鳥だむぇそ、先見ちどぅ飛びゅり、スラヨイヨイ、
汝きゃがきもこころヤレ、見ちどぅ吾ぬや 来おた来おたど
(お囃子)マワレィヨサンゴービングヮ ウケィレィヨスィディルフタグヮ」

(『うたばうたゆん』ユニバーサルレコード、2002年:UICZ4011の歌詞より)


現代語訳

「徳之島の方向に向かって飛んでいく、模様のあるきれいな蝶々。
ちょっと待ってください。私の愛する人に伝言を頼みたいのです。


飛んでいる鳥でさえも、見定めて飛んでいます。
私はあなたの心に惚れて、お会いしたく来てしまったのです」


[長雨切りゃがりゅり]
「長雨切りゃがりゅり、沖や凪り凪りどう、七離れ見ゆり、七離れ見ゆり」(HP『てげてげ節』semenatu.exblog.jpに紹介さ
れている歌詞に当日の唄にあわせて修正しました)


現代語訳
「長雨が切れて、沖は凪いでいる。七島灘が見える、七島灘が見える」
(「七離れ」は薩摩と奄美の間の航海の難所、七島灘を指す。私訳ですが、どうでしょうか?)


声のうねりにまたうねり、たいへんなボルテージと思いましたが、この日は、朝崎さんのCDに収録されていない唄を多数披露
して頂いたことがなによりも感激しました(「いそかな節」「まんこい節」「長雨切りゃがりゅり」「はんめ取り節」)。


[はんめ取り節]

最後にタナカアツシさんの伴奏で「はんめ取り節」「嘉徳なべ加那節」を歌われました。
「はんめ取り節」は、「あまり歌詞の説明はしません。唄で聴いてくださいね」と言葉を濁されていましたが、その意味はお
わかりでしょう。

唱い終わられてから、最後の一句は「今日起きたことは誰にも話してはいけませんよ」という意味なのですとさりげなく付け
加えられておられました。

奄美の男女のおおらかな恋情と、含羞ある情緒は、たとえば妻問いで忍び来る加那(恋人)を家裏戸を開けて待つ女の気持ち
を唱った「側屋戸(すばやど)節」などにも表現されているように、数々のシマウタの歌詞にもうかがえます。

「はんめ取り節」は農作業の仕事唄です。

南大島の一部のみに残る「スラドッコイドッコイ」のお囃子が、余り聴かないもので新鮮でした。唄の歌詞の一番は次のよう
な歌詞でした。


「何(だ)処かちがいもいる色白女童(いるじるめらべ)はんめの足らだなはんめ取りが、
はんめや吾(わが)取りて持たさば、吾二人(わったり)だんだん、昼山焼こや」。


現代語訳
「何処に行くのか色白の娘さん。食べ物(飯米)が足らなくてそれを取りに。
食べ物は私が取って持たしますから、私たち二人、だんだん昼山を焼きましょう」(小川学夫氏訳)


じつはここに記した歌詞は、小川学夫氏の『奄美の島唄─その世界と系譜』(根元書房、1981年)から引用したものです
(104頁)。
この唄は、「昼山焼く」つまり男性が女性に野合を誘い掛ける唄なのです。焼畑の昼山焼きの炎に「萌え」観念の原義を感じ
ます。穀物の再生に、性的行為の生命力を思わせる観念が窺われるとは、小川学夫氏の指摘です。

小川学夫氏の採録した歌詞は朝崎郁恵さんの師匠である福島幸義さんのもので、この日の朝崎さんの唱った歌詞とは同一のも
のでした。同じく加計呂麻島の歌詞であることは間違いありません(福島さんは加計呂麻島瀬戸内町諸数の御出身)。


[嘉徳なべ加那節]


「嘉徳なべ加那節」は私もたいへん好きな唄です。朝崎さんの言葉を借りれば、出来過ぎているほど美しい唄だと思います。
「嘉徳集落のなべ加那さんは親に水を汲ませているが、どうした生まれなのか」という歌詞は、二番、三番でそれを非難する
歌詞もあるのですが、やはりなべ加那さんは神高い神聖な女性であったからという説の方が納得がいきます。

段々と音程が上がっていき、「ハレイ、どうした生まれなのか」を意味する「ハレイ、キャーシャル生マリシチガ、ヨーイ」
の「キャーシャル」で一気に下るところなど、朝崎さんの裏声にぞくっと身にしみ込む思いがして、朝崎さんの「嘉徳なべ加
那節」こそシマウタの歴史に残る絶唱だとひとり合点するのでした。


[豊年節・六調]


最後に「豊年節」と「六調(ろくちょう)」で締め。これはいつも締めくくりに来る曲だそうです。

「豊年節」は薩摩の山川港からくる薩摩船の来航をよろこび迎えるという、植民地側の人々の心を唱った唄です。

「六調」では、会場は手踊りに興じる観客でやんやのにぎわい。「踊れ踊れよ三十まで踊れ、三十越えたら子が踊るヨイヤナ
ー」「あなた百までわしゃ九十九まで 共に白髪のはえるまでヨイヤナー」「踊り好きなら早よでて踊れ 後ははぐれて踊らら
ぬヨイヤナー」「わたしゃあなたに七惚れ八(や)惚れ 今度惚れたら命がけヨイヤナー」とは、朝崎さんの一方の血を引く
喜界島の歌詞にもとづくものでした。


[おぼくり・ええうみ]

アンコールもあり、マブリのお2人のジャンベとギターの伴奏で、「おぼくり&ええうみ」を唄って終わりました。

2曲は朝崎さんの故郷、加計呂麻島の花富(けどみ)集落で唄われている八月踊りの唄とのこと。

「おぼくり」は「ありがとう」の古いシマ言葉。花富集落では、八月祭りの最初に唄われたもの。

「ええうみ」は語義不明。2曲とももっとも叙情的な唄の一つです。2番まで唱われていました。





アンコールが終わって出演の方々


観客のみなさんはみんな静まりかえっていました。御丁寧に観客に満面の笑みを浮かべて、両手を振って舞台を降りられてお
られました。朝崎さんはまことにかわいいおばあちゃんでもあります。