黄文海監督の『夢遊』─「雲之東フォーラム」その2

2007-10-18

10月13日と14日に明治大学和泉校舎で開催された「雲之東フォーラム」の記事の続編です。
黄文海監督は北京の芸術家村の四人の芸術家たちの共同生活と映画制作を記録した『夢遊』(2005年)を上映。
よくわからない前衛芸術家、それも現代の潮流から少し遅れてしまった、かつての旗手たちの、ほとんどからまわりともいえ
るもの悲しい、死にものぐるいの活動を、滑稽さえ思わせるペーソスが、全編白黒の作品の隅から隅まで漂っていました。
そもそも共同生活自体がほとんど素っ裸(四人の内の二人)で、性器を露出し、いじりまくり、戯れまくるのです。それも
修正もなく・・・・・(汗)。
けっして好きな作品ではないのですが、救いようもなくどうしようもない、でも剥き出しに生きている人間
たちの姿ではあるのでした。
この二つの作品を見ただけで、すでに疲れてしまい、三人目の胡新宇監督の作品『姉貴』はみませんでした。
アメリカに移住し、再婚した姉の家に押しかけ、その家族の日常を記録しつつ、監督自身も同居人として介入していくドキ
ュメンタリーです。原一男監督のように、撮り手の参与性、暴露性を全面に出した作品でもあります。
胡新宇さんは多弁な人で、二日目も発言が一番多い人でしたが、独特の晦渋に満ちた物言いが、批評言語が画一化され、貧
困さを脱していない中国の映画批評に対するアンチテーゼとしてご本人自身が己をかけて屹立(文字通りのファナティック
な意味も込めて)しているのだということはよくわかりました。