郭浄先生と『氷川』─「雲之東フォーラム」その3

2007-10-19

「私が旅で知ったこと、映画から知ったこと」


14日は「〈雲南〉から見る中国のドキュメンタリー運動」と題し、雲之南映像展の3人の企画者、雲南社会科学院教授郭浄先
生(このHPでは研究者に対しては通例で先生を使っています)、雲南大学人類学部大学院楊昆先生、ドイツ・キール大学大
学院生、易思成さんと、特別ゲスト、土本典昭監督が参加しました。
夫人に支えられ、会場に現れた土本監督に、会場は否応なく熱気を帯びたのでした。

郭浄先生はいつも笑みを浮かべ、心の強い意志をも感じさせる人で、中国映像人類学の先駆者として知られています。
雲南省博物館の元館長、雲南北部のチベット族居住地区で、白瑪山地文化研究センターを主宰し、チベット族のコミュニティ
ーで、現地の人々にビデオカメラを渡し、現地の人の視点からコミュニティーの生活の現実と、多様な視点からの記録を行っ
ています。


      郭浄先生


現地の人が映像を撮るということで、現地の人の言説、考え方が、直接外部者に提示されるという人類学的方法論としても意
欲的かつ実験的な方法を実践しているのです。南米の貧困者層などで、このようなコミュニティーで映像を撮って主張する手
法が行われていますが、人類学的には「もう言うネイティブ」の力量と可能性に期待できるといえましょう。

撮られた作品は外部にのみ消費されるのではなく、コミュニティー内部で鑑賞、消費され、村人の自己認識の鏡としても機能
しているともいえます。これが郭浄先生のねらいの一つでもあるといいます。

『氷川』は、私が2006年訪れた雲南省最西端の海抜三千五百メートルの徳欽チベット族自治県で撮られた映画です。
雲南最高の山、六千五百メートルの梅里雪山の麓に広がる氷河の村、明永村の住民が撮った映像です。そこには、年々溶けて
痩せ続ける氷河に対する村人の怖ず怖ずとした不安が描かれていました。
この不安の起源は、じつは我が国も関わりがあるのです。
去年、私はこの地を旅して、そのことが解ったのでした。
梅里雪山は、日中合同登山隊がかつて足を踏み入れて遭難し、17人の犠牲者を出しています(第2次登山隊)。
その慰霊碑は、チベット仏教の八大聖山の一つである梅里雪山を回る巡礼ルートの起点、飛来寺にあるのでした。慰霊碑はチ
ベット仏教の白塔と、タルチョ(経文を印刷した旗)とルンタ(風馬と呼ばれる馬像を印刷した旗)が五色に無数にはためく
広場にひっそりとあります。

犠牲者の名は、日本人の名のみが中国の観光客の手によって削り取られています。
しかし、中国人の日本登山隊に対する敵意(最近ありがちな過剰なナショナリズムにもとづく衝動的敵意)は、周囲を見回す
と そんなことはどうでもよくなるような現実があるのです。
そこには、地元のチベット族の人たちの嘆きと、怒りがあったのでした。

聖なる山に登るという、近代登山の冒瀆。地元の人たちは、その慰霊碑を、「侵略者の墓」と呼んでいるのでした。
登山隊について、現地の人はけっしてよくは話しません。
飛来寺に日本の登山隊が金の仏像を奉納した。しかし、遭難後になぜか仏像を持ち帰ってしまった。なんのための仏像だっ
たのか。云々・・・。
私はそれ以上の気持ちを土地の人に聞く勇気はなかったのでした。
しかし、この映画には、私が聞きたかった人々の言葉が図らずも語られていました。

氷河が溶けたのは、登山隊が山に入ったからではないか。

かつて、美しい湖がカワカブ山(主峰)の麓に抱かれ、そこには青と白の一角獣がいたんだ。植物採取の西洋人が入って以
来、氷河が溶け始めたのだ。

登山隊の遺骸が、この山も、水も、氷河も、みんな汚してしまったんだ。その水を、我々は飲まなければいけないんだ。

映画で語られるのはこのような村人たちの嘆きの声なのです。聖なる山を汚した登山隊と、その遭難事故は、現地の人の
心に深い傷を残しているのです。
この作品が日本で上映されたとき、それは現地の人々の魂の声を、確乎たるメッセージとして伝える映画となったのでした。

私は郭浄先生にいいました。私はこの言葉を、感想として是非彼に伝えたかったのでした。
「聞くべき言葉が、ここにはあり、私はようやく聞くべき言葉をこの映画を通じて聞いたのです」。
郭浄先生は、頷きながら私に謂いました。
「でも、国と国からみたときの人々の思いと、個人に対する思いはまた別のものです。遭難者の遺骸を回収した日本人は、信
念と辛抱強い現地の人とのつきあいから遺骸を回収したのです。明永村の人々は、彼には敬意と親しみをもって接しているの
です」。
だいたいこのようなことをおっしゃられたと記憶しています。

登山隊とその遭難事件は、現地の人々、彼らが生きる土地と切っても切れない関係をもって、その美しい風景に抱かれて彼ら
の魂を造りあげてきた人々にとって、とりかえしのつかない破壊的な現実をもたらしたのでした。
その傷を魂に抱いて、彼らは氷河の麓に生きていたのでした。
その疼きを、我々は知るべきでしょう。
そこには、かつての美しい神話─美しい湖と一角獣が住む雪山の物語─は、もはやなく、失われてしまったのです。
その喪失感を思うべきでしょう。

個と個どうしの交わりから、歴史が残した傷跡とはまた別の、新しい絆をつくっていくこと、日中戦争の戦禍の問題もそうで
すが、私もそのような形で、出逢った人々との関係性を作ってゆくしかないということを改めて考えたのでした。