アチャン族の村寨

2008-10-27

アチャン族の居住地は、雲南省徳宏のタイ族・ジンポー族自治州の隴川県、梁河県などです。人口わずか3万人あまりです。
アチャン族の自治郷である隴川県の戸撒郷を訪ねてみました。アチャン語はシナ・チベット語系、チベット・ビルマ語派、
アチャン語支(あるいはビルマ語支、イ語支説あり)に属しています。漢民族、タイ族の居住地と重なり、タイ族領主のもと
で生活していた経緯から、アチャン族の人たちはほぼ漢語とタイ族語に通じ、漢字とタイ文字を使います。また村に南伝仏
教の寺院があることからもわかるように、タイ・ミャンマーと同じ仏教信仰をもちます。

アチャン族は「峨昌」「莪昌」「俄昌」と史書に記され、雲南省北西部の金沙江、瀾滄江、怒江流域一帯で生活していたの
が、西暦13世紀には現在住んでいる地域に定住するようになったと考えられています。元末の王鳳文の『雲龍紀住』では、
今の大理白族自治州雲龍県一帯の「峨昌」について記していますが、その首領が元末当時系譜35代を数えるとされています。

戸撒郷は盈江県から海抜1600メートルの大密林地帯の峠を越えて、隴川県側に入った平地にあり、優良な水稲を産し、牧草
地も広がり、馬の飼育も盛んに行われています。
漢族風の石彫りの墓地を見ることから漢族の居住地と思えども、村に南伝仏教の寺院があり、不思議な気持ちがしますが、
これがアチャン族の村寨の風景なのです。このほかに皇閣寺という中国仏教の寺院もあります。墓碑からでもわかるように、
アチャン族は姓をもち、漢姓に準じていますが、なかには俸姓などの伝統的な姓もあります。ただ、その名は父子に字を共
にする漢族には避けられる命名をすることも多く、父が寸老四、子が寸老常といった命名もみられます。ただ、結婚の時に
同姓不婚の原則があるのは漢族に準じる習慣です。

辺り一面の水田のなかに郷政府のある市街にでますが、民族小学校と、刀剣の鍛冶工場をもつほかは、閑散とした印象です。
男性は民族衣装を着ておらず、ご婦人に黒い巻きスカートを基調とした民族衣装姿が散見されます。もともとは上着、ター
バンも黒という黒ずくめの衣装であったようです。

アチャン族の主要産業として、刀剣生産は有名です。明代初期に漢族の軍隊がこの地に辺境防衛のために入植し、刀剣生産
の技術を伝えたということです。タイ族・ジンポー族に広く使われています。かつてビルマに置かれた英軍のカチン族部隊
の軍刀にもアチャン族の刀が採用されていました。英軍に採用された騎兵刀などは現在でも生産販売されています。ビルマ
北部木邦一帯で使われている細身のビルマ刀も生産輸出しています。ここで生産される刀は、密林の伐採にも適したナタ状
の形態をとるもので、それを細やかな彫刻を施した木の鞘に収めます。また、第二次世界大戦の影響から、日本刀と同様の
鞘と束をもつ刀剣もあります。このあたりも日本軍の軍政下にあったことからこのような刀が生まれたものと思われます。
公路から郷政府に入る路口に数軒の店があります。

アチャン族の村寨を訪ねてみました。村の入口に魔よけのカゴメの呪物があります。

路の両脇に古めかしい石獣が座り込み、魔除けとなっていました。

南伝仏教の白塔が旗に囲まれて建っています。木造の寺院は二十年前くらいに建てられた物です。

村は泥道を入っていき、どれも土塀、土壁の質素な民居ですが、その建築様式は、このあたりの漢族のものとまったく同じ
です。母屋中央の部屋には、漢族とまったく同じ天地神を中心とする位牌がありました。部屋の鴨居に貼る切り紙は、漢族
では「掛箋」(クゥアチィエン)と呼ばれるもので、その切り紙の細かさがすばらしいです。入り口左右の木彫りの装飾も細
かいものです。しかしながらその軒下には、月と太陽に捧げる祭品を載せる棚を設けており、漢族とタイ族の宗教信仰が不
思議に同居しているのでした。

ミシン仕事に精を出しているおばあさんに写真を撮らせてくださいと御願いすると、眼鏡をとり、居住まいを改めて微笑し
てくださいました。品のよい方でありました。