地方の福神・仙台四郎さん


2008−03-14


仙台四郎さんの由来と生平


仙台にいけば、仙台四郎さんに出会えます。
仙台四郎さんは、仙台にしかおられない地方の福の神様です。
仙台のお店のカウンター裏などに、陶製の神像とか、実写の写真像とかが掛けられています。

よそから来た人は、笑顔の少年の写真を指して、「先代の肖像ですか?」と訊いてしまうかもしれません。

そう。仙台四郎さんは、実在の人物なのです(元宮城県知事、浅野史郎さんのことではもちろんありません・笑)。

以下、粟野邦夫氏の著書『不況を吹き飛ばすという福の神仙台四郎のなぞ』(東京・星雲社、1993年)を主な資料として使い、
仙台四郎さんについて紹介します(粟野邦夫氏のこの著書は、生前の年表とその後の出来事についての年表があります)
(141-169頁)。

仙台四郎は、実名芳賀四郎という人で、生前 1860年頃の生まれで、 1902年頃に47才で福島県の須賀川で死んだとされる人で
す。


火の見櫓のそばに生家があり、「櫓下四郎」(やぐらのしたしろう)とも呼ばれ、元々は賢い子供だったそうですが、7才の時
広瀬川で溺れてから智慧が弱くなり、「バアヤン」しかしゃべれなかったという説もあります(ウィキペディア「仙台四郎」
の項目)。

ところが性格はたいへん穏やかで、笑みをたやさず。ときにどこかの店に入って遊ぶのが好きでした。「四郎馬鹿(シロバカ)」
と呼ばれたりもしたけれども、立ち寄る店はかならず繁盛するのです。それが人々に知られるようになり、いつのまにやら四
郎さんはどの店でも大歓迎されます。

けれども袖を牽いてまで引き入れた店は繁盛せず、かつて四郎を馬鹿にして追い出したりした店は落ちぶれたりするのです。
素直な四郎ですが、嫌いな店には誘われても入らず、もてなしには熱い茶が苦手とあって、温めのお茶でもてなすのだそうで
す。

粟野邦夫氏によると、仙台四郎の写真は、大正時代初頭に、仙台駅近くの千葉写真館が「明治福の神・仙台四郎君」と、明治
18年くらいに撮った写真をはがきを作って配布したものが残された唯一のもので、笑顔で腕を組み、縞模様の着物を着て正座
しているものがあります。この写真はオリジナルを含めて4種類の基本バージョンがあります((『不況を吹き飛ばすという福
の神仙台四郎のなぞ』36頁)。ただ、逸物が裾からはだけて見えている写真が霊力があるとされています。

いまでは陶製の四郎像も、逸物が出ているものが本物だとは、四郎さんを祀る店の人はどなたも仰います。

ちなみに、粟野邦夫氏は、仙台四郎さんは、生前は旅館や妓楼、料亭などで写真を掲げたものが多かったとしています(『不況
を吹き飛ばすという福の神仙台四郎のなぞ』44頁)。

いままで5回のブームがあったとしますが、戦後もいくつか流行があります。最近では各種グッズが売られていますが、仙台
駅前のクリスロードにある三瀧山不動院の仲店のグッズ屋さんと、仙山線愛子(あやし)駅付近の西花苑(せいかえん)住宅街
にある「こま屋」さんという陶人形屋兼料理屋で売られています(『不況を吹き飛ばすという福の神仙台四郎のなぞ』95頁)。


仙台四郎さんを求めて

私自身は、秋保温泉で泊まった山菜荘さんで、仙台四郎さんを見て、感激しましたが、ここの旅館の仲居さんが親切な方で、
写真を撮らせてくれたほか、仙台四郎の像を入手できる店を探してくださり、こま屋さんを紹介してくださったのでした。

幸い、秋保温泉から愛子駅まではバスが一日数本あり、東北特有の白樺林の美しい森山の峠道を越えて、愛子駅に向かい、タ
クシーの運転手さんに尋ねると、さっそくコマ屋さんに案内してくれました。親切な運転手さんで、仙台四郎を求めに来たお
客さんは何人か乗せたことがあるといいます。
彼自身はクリスロード(旧中央道り)のものよりも、こま屋さんのものが元祖だといい、そちらに連れて行くことにしている
そうです。

「お客さんもやっぱり商売されているのですか?」

「いいえ、教員ですよ。でも、福の神さまを嫌いな人なんていませんでしょう?」

という会話だったのですが、考えてみれば私、副業で雲南省の大理古城で旅館を経営しているのですね。
最近日本から「招き猫」を導入してから商売はなぜか上々で、自分が旅館経営者だったことなどすっかり忘れていました(笑)。

こま屋さんは、緑茶色の料亭で、仙台四郎さんの写真が看板にも掲げられています。ところが、午後6時までお休みしますと
書いてありました。


     こま屋さんの店構え


これでは帰りの汽車に間に合いません。ダメ元で戸を叩くと、なんとまだご主人の北村さんが居られ、外出前の時間を割いて、
つきあってくださいました。


     こま屋さんの店内


写真は1万2000円、これは千葉写真館で大正時代に撮ったものの複製です。四郎さんの像は、土鈴になっていて、ちりちり音が
鳴ります。大きな物で12000千円、中型が6000円、小型が1300円で赤座布団付きです。私は小型を一つ買い求めました。

いずれもちゃんと逸物が出ています。写真版の四郎さんももよくみるとちゃんと逸物が・・・。ご主人が教えてくれました。


こま屋さん謹製仙台四郎さんのお写真


こま屋さんは40年ほどやっているお店で、もとは市内にありましたが、20年前西花苑に引っ越してきたそうです。元祖と
いうのは、四郎さんの土鈴を作った元祖ということなのでしょう。

幸運なことにこま屋謹製の仙台四郎さんをお招きすることができ、しかもバスの始発駅が斜め向かいで、仙台駅に直帰しまし
た。

じつはつぎのバス停で、知的障害のお子さんが乗ってきました。彼は誰にでも挨拶し、運転手さんの名前を覚えています。運
転席の後ろに座り、話しかけるのです。

「山田さん元気?」
「佐藤さん元気?」

と問いかけると、運転手さんはいやがりもせず、

「山田さん元気ですよ」
「佐藤さんは今日はお休みです」

とか、明るく答えるのです。

そんなやりとりはじつに微笑ましかったので、仙台駅で降りるとき、

「いやあ、楽しかったです。こんな朗らかな運転手さんは東京にはいませんよ」。

というと、

「ありがとうございます」

と、つややかな丸顔をほころばせて、運転手さんは微笑むのです。運転手さんが福の神さまなのではと思ったくらいでした。

そして仙台駅前商店街、クリスロードの三瀧山不動院へいきました。
仲店といっても4軒ぐらい、浅草寺の縮小版みたいなものです。午後5時半、ちょうどお坊さんが帰られる頃でした。


  三瀧山不動院仲見世


不動尊の脇に巨大な仙台四郎さんが祭祀されておりました。とりあえず、45円を「始終御縁」ということで置いていきました。


  不動尊脇の仙台四郎さん


お店では仙台四郎さんの色紙で、写真のイメージが印刷されている物を求めました。1000円です。



いくつかの考察

さて、以下は福の神としての仙台四郎さんの考察です。思いつくままに、箇条書きにしてみました。

福の神としての仙台四郎さんの特徴はいろいろあると思うのです。
@実在の人物であること。

これについてはその由来ですでに書いた通りですが、近代以降の実在の人物が神として信仰されているということは、日本全
国でもたいへん珍しい神様ではないかと思います。その発生は、流行神(はやりがみ)としての性格もあります。

A小児神であること─日本の東北地方の小児神の系統

東北地方にはそれぞれの地方の福の神の信仰が根強いです。

たとえば岩手県から青森県にかけてはザシキワラシの信仰があり、秋田県にも目に見えない童子が他所から物をもってくると
いう伝承があり(柳田国男が佐々木真善『座敷童子の話』の前書きに書いています)、また三吉さんという子供の神がいます。
これらの神様たちが少年や少女であるという信仰と通じています。

少年仙台四郎に対して最近では仙台幸子なる少女の福神まで創作(実子、峰八千代さんが実母の幼少期のエピソードをもとにプ
ロデュース)されているのも、東北の小児神の系統に連なる要素を感じます。

小児はこの世に生まれてまだ魂が安定せず、夭折の可能性があり、子供は神の世界、あの世を背負って生まれている性格があ
ります。子供の半分は神の世界の住人といえるのではないでしょうか。仙台四郎さんもその純粋無垢さの性格などから、子供
の神としての影をおっている部分があるでしょう。

B地方の福の神信仰の一例であること
仙台四郎さんは、地方の福の神です。そのような地方独自の福の神さまは、東北各地の福の神さまたちのほかにも、各地にい
ろいろな神様がいます。

こういう地方の福の神は、たとえば足袋の商標にもなった福助さん然り、ハワイの福の神さまが日本に伝来して大正時代に流
行したビリケンさん然り、いずれも微笑ましい神様です。ビリケンさんは、大阪の通天閣にも祀られています。かつて私の渋
谷の生家にも、曾祖父のアメリカ土産のビリケンさんがつり上がった目に微笑みを浮かべて直角に足を投げ出してすわってお
られました。
子供の頃、その姿格好からして、祖父そのものだと勘違いしていたことなどを思い出します。祖父はそれぐらいビリケンに似
ていたのです。

C門付けをする訪問神

仙台四郎が現れた店が繁盛するというのは、正月の門付けに見られるような、福の贈与を特定者に対して行う行為であるとも
考えられます。

門付け芸は、日本でも朝鮮でも中国でも社会的弱者である下層階級の人がやっていた芸です。中国でも各地を放浪して門付け
の唄を謡っていたものでした。これが行われるのは旧正月前後ですから、みすぼらしい身分の人が福をもってくる信仰は、中
国にもあります。

社会的弱者に、霊性があり、福を付与する力を認める信仰がここに認められます。その性質は仙台四郎さまの福神的性格の一
つの本質をなすものでしょう。

D弱者に霊性をみる信仰

知的障害の方が訪問して福を授けるというパターンは、奇しくも山下清画伯のエピソードを元にドラマ化された『裸の大将放
浪記』にも通じるものです。純真無垢さが、福を授ける福の神としての性格をもち、それがふらっと現れて人々を幸せにする
来訪神としての性格もみせています(大沢忍氏の著書『不思議な福の神〈仙台四郎〉の解明─その実在と世界の分析』は、愚者
としての性格が神性に通じるとして布袋様の伝承との共通性を指摘していますが、主にこの観点から仙台四郎の福神信仰とし
ての性格を分析しています。東京・近代文芸社、1994年:43-72頁)。

このような福の贈与者のもつ霊性は、知的障害のみならず、貧困とか、社会的に下層階級に属する者とか、日常的に本来負性
を帯びている者が、日常優位であるような健常者、富裕者あるいは平民に対して、対立項としてその負性をかえって非日常的
な優越性に逆転し、神性を賦与するという民俗的観念にまで概括して論じることができるものです。

中国の民俗について、黄強氏はかつて春節に財産繁栄をもたらす財神を描いた神像画を売るのは、子供や乞食の商売であった
といわれます。また北京白雲観の正月十九日の「会神仙」の習俗が、乞食のなかに聖なる仙人が混じっているという発想も、
その種の観念です(黄強著「〈乞食〉に化身する来訪神―中国の民間における〈新年の財神来臨〉習俗」『中国の祭祀儀礼と
信仰』下巻所収を参照してください)。

E生殖器信仰

仙台四郎さんの信仰については、生殖器信仰の要素があることについても触れておかなければなりません。仙台四郎さんは福
々しい体躯と笑顔をもつだけではありません。着物のすそからはだけて露出した逸物も、仙台四郎さんの富の根源となってい
ます。生殖器が文字道理「生産」という意味をもち、富をつねに充溢させ、豊饒もたらし、世間に富を注入させているのです。
富を贈与する錫杖として、仙台四郎さんの逸物も役割をもっていると考えられます。

むすび

   今回仙台四郎さんと御縁があり、一人の大事な友人のことを想い出しました。
私の中国の自宅がある雲南省大理古城でも、私の友達のアダファー君は、知的障害がある人で、仕事は乞食をすることでした。

彼は、いつもチベット人のやっているチベタン・カフェの前で物乞いをしていました。でも、店を切り盛りしていた女将さん
も、別に彼を追い払おうとはせず、まったく自由に振る舞っていました。女将さんは知っているのです、アダファー君は、自
分の店が繁盛しているから毎日門の前に立ってくれるのであるということを。だからアダファー君を追い払えば、福が逃げて
ゆくかも知れません。

アダファー君も社会的弱者であり、かつまた知的障害者でした。つまり社会的に本来負性をもつ人ですが、やはり福の神とし
ての性格を大理古城の街でちゃんと担っていたのです。それが、乞食としての彼の仕事の意味だったのです。

ふらりと店に立ち寄り、店に福をもたらす仙台四郎さんも、門付けの神様で、愚性をもちながらもそれゆえに生まれ高い霊力
を秘めていた人でした。

しかも、その霊力の根源が、彼のぶらりとたらした逸物であったということは、なんとも微笑ましい無邪気さがあると思いま
せんか?。


参考文献

大沢忍『不思議な福の神〈仙台四郎〉の解明─その実在と世界の分析』東京・近代文芸社、1994年
粟野邦夫『不況を吹き飛ばすという福の神仙台四郎のなぞ』東京・星雲社、1993年