むかすあったずもな─昔話を知らない子供たち


2007−12-13


いつも早朝のニュース番組『Oha!4』という番組をみています。そのなかで、キャスターの中田有紀さんが担当している「気
になるニュース」というコーナーがあります。
12月12日の「気になるニュース」は「昔話が消える!?」という内容で、「昔話を知らない子供が増えている」という昔話の伝
承の危機を強く訴えるものでした。
このコーナーでは、今年秋に、津軽方言の危機を感じて津軽方言辞典を出版した方の話を紹介し、しかも元青森放送出身の中
田有紀さんが、津軽弁を披露するという内容の放送をしています。「伝承の危機」という事態は、このコーナーが関心をもつ
テーマの一つです。

昔話に話を戻すならば、勇気(『一寸法師』)、善悪(『花咲じじい』)、別離の悲哀(『鶴の恩返し』)など、一番大切な
情操を知ることができるのは、やはり今も昔も昔話に勝るものはないのに違いありません。

方言も昔話もじつは伝承の危機を招いた決定的な原因は、けだしテレビの普及によるものではあります。テレビ・ラジオの娯
楽がない時代は、囲炉裏端が家族の団らんの場で、婆さまや爺さまが糸繰りや縄ないをしながら「むかす、あったずもな」
(遠野方言)と語り始めるのを、孫が胸をときめかせて聞いていたわけですが、いまそのような光景は日本の津々浦々探して
も珍しいでしょう。

テレビやラジオは、人々に世界を見開かせたのですから、好奇心がブラウン管にゆくのは仕方がありません。そのかわり、お
国言葉や、土地に伝わる民間伝承が、失われる危機に晒されたということでしょう。テレビ番組の『まんが日本昔話』は、そ
んななかでテレビの側が昔話の普及に参与した希有な功績があります。市原悦子と常田富士男のいくつもに使い分けられた臨
場感ある語りこそ、じつは都会生まれの私などにはいちばん語りのおもしろさを教えてくれた原体験であったかもしれません。
市原さんと常田さんは、その意味で現代の爺さま、婆さま役を引き受けていたといえます。

『まんが日本昔話』も終了し、現実にも婆さまや爺さまが孫に語り伝えることがほぼ不可能になった今、父親や母親が昔話を
伝える担い手ですが、その装置として絵本があるということでしょう。ただ、この世代である我々が昔話に興味をもたないと、
どうにもならないと思います。

まずは我々が絵本を紐解く、興味をもつということから始めないといけないと思うのです。
また、テレビが視聴率を度外視しても、アニメなどで昔話の普及をつづけることも効果は大きいと思います。絵本や紙芝居の、
幼稚園や図書館での子供たちへの読み聞かせも必要です。それもただ読むのではなく、「語りの臨場感」の生き生きとした有
様を伝えれば、子供の琴線にも響くのではないでしょうか。まだまだおられる語り手の方に、読み聞かせの場でじっさいに語
り聞かせに出てきてもらうことも大切でしょう。

じつはここまで書いてきて、私自身偉そうなことはとてもいえません。

大変恥ずかしい話で恐縮なのですが、私はじつはアジアの昔話(口頭伝承)の研究会の世話人の一人をしています。「中国民
話の会」(http://minwanokai.com参照)という会で、東京都立大学の村松一弥さんが1970年代に作った会です。もともと研究
を目的として、各地で聞き書きをやったり、さまざまな話の比較研究をやっていますが、じつは、アジアの昔話の奥深い伝承
世界の有様をわかりやすく手引きするような概説書、解説書が、まだ日本にはないのです(そもそもアジアの昔話の類話を総
合的に網羅した索引もまだありません。国際的な共同作業をする必要があります)。これでは大人になって昔話に興味をもち、
近隣の国々の同種のお話に興味をもった人たちも、なにを入り口としたらよいかわからないだろうという申し訳なさがあり、
私自身はそのようなことに関われる力も不足ですし、忸怩たる思いがあります。また、アジアや中国の面白い昔話、とくに妖
怪譚などを絵本でもっと紹介するべきだという反省もあります。研究だけでなく、伝え手の立場にも立つ必要を痛感します。
私自身の問題として、真剣に考えてゆこうと思います。

昔話の面白いところは、日本の昔話が、時空を超えて世界のあちこちに通底するということで、しかもアジアでは竹取物語の
原話はチベットであるといわれていたり、日本海側の民間伝承は、朝鮮や中国沿海部と極めて近い関係にあるとか、自分の国
の伝承を通じて、さまざまな場所に出られる面白さがあります。

そこに見えてくるものは、世界中の人々が、語りや筋立ての面白さ、意外さに心を砕きつつ、古今東西問わず自身の喜怒哀楽
を意識的、無意識的(心理学者の河合隼雄さんのお仕事にみられるように)に託してきた物語の世界そのもので、百田弥栄子
氏の言葉を借りるならば、それ自体があたかも伝承が織りなす曼荼羅のような宇宙です。昔話を失うということは、世界的に
見れば、人類が記憶を失うという事態に他ならないと思うのです。