軽便車がきた─ある夏の昼下がり


2008−01-11


「晩夏」 木下夕爾


停車場のプラットホームに
南瓜の蔓が匍いのぼる

閉ざされた花の扉のすきまから
てんとう虫が外を見ている

軽便車がきた
誰も乗らない
誰も降りない

柵のそばの黍の葉っぱに
若い切符きりがちょっと鋏を入れる



木下夕爾(1914〜1965)広島生。詩人であり、俳人でもありました。本名は優二。広島県深安郡御幸村生れ。名古屋薬専卒業。

この作品は、詩集『晩夏』昭和22年収録。福塩線沿線の万能倉(まなぐら)駅近くの生まれで、郷里を通るがらがらな軽便
車両を詠んだのでしょう。昔『鉄道模型趣味』雑誌に、乙政潤氏が軽便鉄道レイアウトの紹介記事のなかで、この詩を紹介し
ておられました。

田舎の鉄道が醸し出すこんな侘びた風情が私は好きです。もちろんそれだからこそ儲からないし、消えゆく運命にあるのだけ
れど。

草むした夏の日の線路は、陽炎にゆがんでみえ、彼方から暑気を掻き分けるように揺らめき揺らめきゆらゆらと、茶色のガソ
リンカーがやってきます。

タタン タタン、タタン、タタンと、几帳面にレールの継ぎ目を踏みガソリンカーはやってきます。
まるで勘定しているかのようです。

乾いたようなブレーキのきしみを立てながら、ほとんど土を打ち固めて柵を打っただけというだけの停留場に停車します。

見ればエンジンが埋め込まれたT型フォードのボンネットを運転席から突き出し、ひよっとこ然としたその風態は、いかにも
「前にしか進めません」といいたげな不器用さです。
貨車も客車も従えず、たったひとりでガソリンカーはわざわざ手間暇惜しまずやってきたのです。
車内には数人の人影。荷物といえば後ろの荷台に積まれた自転車一台だけです。

ジリジリという蝉の声とガリガリというエンジンのアイドル音だけが辺りの田んぼに虚しく響き、呆けたように立ち尽くして
います。

車掌は手持ちぶさたに黍の葉っぱに夾みを入れました。

手動の引き戸をカラコロ引いて車掌が戻ると、やがてガソリンカーは意を決したようにエンジンの音をゴウゴウ蹴立てて去っ
てゆきました。


そんな真夏ののどかな昼下がりのありきたりの光景、そこに詩人は詩を見て取ったのです。