大理古城と民居


2008−10-31


私の自宅がある大理古城について書きます。

古城といっても、観光開発が進み、いまではほとんど昔の名残をとどめない場所が多なりました。
街の真ん中にある五華楼は、かつての行政署媽が置かれていたはずですが、中華民国時代の写真と見比べると全然似ても似
つかない代物です。

◎人民路について◎
いまはかつてあった武廟も、いま大規模に再建しています。これは関羽を関聖帝君として祭祀し、ほかにも張飛、岳飛とい
った歴代の武人を祭祀した廟で、かつて辺境防衛のために移住した漢族軍人の末裔の多いこの街では、城市の守護神である
城隍とともに大事な神ですが、その復興も、大げさな形でうつろな祭祀施設ができるに違いありません(横浜中華街にかつて
なかった天妃廟が建ったのと同じく)。

それでも街の中央を東西に貫く人民路は、伝統的民居がうだつを連ねて建ち並ぶ古街の風格をとどめています。このほか、
護国路の一部、北門近くの商店街の一部など、ところどころにその手のスポットはまだあります。

人民路の西側は、護国路についで、外国人バックパッカーのたまり場のカフェ街として開けており、古い建物のなかに、ピ
ザやらアイスコーヒーやらの欧風の飲食を売るカフェが、はでな装飾と看板を色とりどりに自己主張していますが、新旧渾
然としたカフェ街も、一応この街が本家本元ですから、すでに大理の欠かせない面貌となっています。

ここから東側に下り、現地の人の食材をみたす市場を過ぎると、だんだんと古色の滲んだ街並みになります。
家屋はひしゃげています。中華民国期に大地震があった名残でもあります。

ベンガラ塗りの木造建築は2階建てで、軒の上や屋根の上には、朝顔が満開で、サボテンですらもよく見受けられます。

ここには18世紀後半に建てられたカトリック教会や、かつての西雲書院という学校であった大理第1中学校などがあり、こ
の街の歴史を語るに欠かせない通りなのです。

またイスラーム教徒のホイ族(回族)の経営する食堂では、雲南名物のビーフジャーキーが、店先に吊されています。
この街では漢族もペー族も、牛肉料理が大好きです。
そんな静かな通りに、隠れ家のようにビルマ人経営のカレー屋があったり、ベルギー人のご主人が焼く、ワッフル屋があっ
たりして、思わぬ発見もうれしい街です。この街のどこかに、日本人の女性が開いている雑貨屋さんがあるはずですが、じ
つはまだ見つけられていません。ほんとうにひっそりと街に溶け込んで商売をされているのでしょう。

◎民居について◎
大理古城の民居は、漢族移民が多いこの街にあって、周囲の農村に住むペー族(白族と表記)とほぼ同じ様式の民居です。
だからここに書くことは、大理地方に住むペー族も漢族もほぼ共通しています。

母屋を中心にコの字型、あるいはロの字型に家屋を組み合わせた囲み屋形式で、中庭の広い空間を生かした三合院、四合院
と呼ばれる様式が多いです。 周囲の村にはイスラーム教徒であるホイ族(回族と表記)も多いのですが、彼らもペー族様式の
民居で、沐浴室があり、装飾が質素で、イスラーム式のアラビア装飾文字で母屋中央の部屋を飾るなどの違いはありますが、
ほぼ同じです。

大理の民居は、 門構えの立派さを誇るものが多く、四方に反り建つ飛檐が誇らしげです。家の中心上ではなく、東南角(巽)
の方向など、隅に門を置くのは、北京の伝統住居の四合院と似ています。

門扉の両側の漆喰にも花鳥を描いたり、古今の詩句を書き付けます。 門をくぐると、直接家屋に出ることはなく、悪い気を
防ぐための衝立があり、ここに「福」などの字や、それぞれの家のモットーである致家格言を書き付けたものが多いです。
たとえば、楊という家だと、「清白伝家」の四文字など、家の姓ごとに書き付ける文字が決まっていて、表札代わりになり
ます。

母屋は家の公的な空間としての意味があり、中央の中堂は、一番大事な部屋です。一般に6枚の門扉を連ねて、門扉のそれぞ
れに吉祥図案と花鳥風月をちりばめた木彫を施します。
この種の木彫は、近くの県の剣川の職人に優れた腕を持つ者が多いとされています。 内部には、まず中堂先祖を祀り、家を
守る神として、観音菩薩、財産繁栄の神である財神を祭祀する家が多いです。家の公的な空間ですので、ここに「中堂」(つ
まり部屋の名前と同じ)と呼ばれる寿老人、鹿、鶴などを描いた紅布の刺繍を掲げ、左右にその家を言祝ぐめでたい対句を同
じく紅紙、紅布で掲げます。この部屋には、先祖の位牌や、遺像のほか、家を守る観音菩薩像、財産繁栄の神である財神菩
薩などの神像も祭祀します。
葬儀や婚礼もこの場でおこなわれます。

母屋中央向かって左側が老輩の居住する部屋です。

家屋はすべて二階屋で、黒瓦に白壁づくりです。壁の四隅は石板で飾ります。屋根の下部を幾何学模様や帯状の吉祥文様で
飾り、軒下の壁面も、花鳥風月画と詩句を帯状に書き付けて飾りとするのが、外部の者にはかなり過剰な装飾にみえます。
軒を支える柱と、門扉の左右には、かならず吉祥の対句を紅紙で記した対聯が貼られます(喪中は白紙で服喪の意を表します)。
この対句は自作のものが多く、正月で年が明けると、隣近所ともに門に貼られた対句をあれこれ鑑賞しますので、おろそか
にはできません。文句と筆さばきともに鑑賞の対象です。

雲南という中国の辺境にあって、大理地方の民居は、内地の漢族以上に漢族的な文化表現に固執しています。その表現はき
わめて過剰ともいえます。辺境ならではの漢文化へのこだわりが、漢族、ペー族通じてみられることは興味深い現象です。
これらの民族は科挙を通じて一族繁栄を目指すこともあり、漢文化を身につけることに執着があるのだと思います。つまり、
家の随所にわたって、住む人の教養が主張されてしまうのです。 大理民居の過剰な装飾は、そのような辺境での漢文化の在
り方を典型的に示しているといえます。

大理の四合院も、三合院も、中国に多い合院式住居の一種ですが、その住み具合は、まず外部空間と隔絶した外壁に仕切ら
れた内部空間をもつことに第1の特徴があります。

内部は内部の独立した宇宙があり、それが先祖の位牌を象徴として、部屋割りに現れるように儒教的な長幼の秩序に従って
配置されています。

「院子」(ユエンツ)と呼ばれる中庭は、庶民の家では江南の住宅にあるような園林こそありませんが、そのような禅意がないか
わりに、花壇で鉢植えの草花を育てるという適度な肉体的労力を伴う趣味的空間になっています。

花壇が象徴するのは家の内部の四季を通じた時間の流れで、中庭を中心とした内部空間には内部空間独自の時間が流れてい
るともいえ、壺の中に一つの宇宙が展開する「壺中天」的な内部宇宙モデルを継いでいるともいえます。
日本の盆栽に相当する「盆景」(パンチン)は、穴だらけの太湖石の奇石に、大公望然とした釣り糸を垂れた老人の人形を座らせ、
石から生まれた孫悟空の人形を置き、そこに水草の大きな葉っぱが被さり、奇妙な石の気の流れに応じた宇宙を確立してい
ます。

草花や盆景のならぶ中庭は、家庭の内部空間の一つの中心ですが、これは公的な空間にもなり、披露宴の宴会では中庭に机
を並べて宴席にもなります。

こうした院子の生活空間でもっとも重要な部分は、軒下だと思います。 大理の人々は日常のほとんどの時間を軒下で過ご
します。 軒下はかなり幅を広くとってあり、床も石敷きであることが多いです。

ここに竹椅子を出して昼寝をしたりもしますし、客間で来客を迎えるよりは、軒下でご近所や知人との交流も行うこともふ
つうです。
来客に食事を出すときも、食堂よりは、軒下に机を出して食べてもらうことが多いです。 山椒の実を干したり、梅干しを
作ったり、唐辛子の漬け物を作ったりするのも軒下です。 書斎はあれど、じっさい物を書いたり、読書をする場所はほと
んど軒下ではないでしょうか。 原稿や、対聯など、書画の製作も、軒下で行います。 じっさい私もいま、この原稿を軒下
で書いています。

軒下は、晴れれば耕作、雨が降っては読書の「晴耕雨読」そのもの、中国の伝統的な農村文化ともいえる耕読文化の実践の
場所といってよいと思います。 中国の北方の四合院でもそのような使い方をされているはずですが、雲南地方は雨季があ
り、長雨が何日も連綿とつづきますので、とくに軒下が生活空間として重要な意味をもっているのだと思います。高原地帯
の強烈な陽射しを避ける効能もあるでしょう。 部屋の中より、四季折々の花壇の眺めを楽しみながら過ごす軒下で、大理
の人の人生の大部分は過ごされるのだと思います。