「小火車」乗車記─四川省芭石鉄道の旅


2007−12-30


お断り─この記事は2年ぐらい前、「中国民話の会通信」という小冊子に発表したものです。あとで掲載刊号、掲載年など調べます。


芭石鉄道について


2005年の3月、私は中国四川省各地の古街を訪ねる旅を一ヶ月ほどしていた折、一日遊びがてら、とある片田舎の鉄道を訪問
した。この鉄道は芭石鉄道といい、長江の支流、岷江沿岸、楽山の磨崖大仏にも近い犍為県の街、石渓鎮と炭鉱の街、芭溝鎮
の間19.5キロを結ぶ。



     産業用電気機関車

運炭鉄道として、1958年に建設されたこの鉄道は、嘉陽鉱山を経営する四川嘉陽グループの経営で、中国の主な鉄道が線路幅
1435oの標準軌なのに対し、線路幅約半分の762oの狭軌で敷設され、他の鉄道とは連絡ない。題にある「小火車」とは、「小
さな蒸気機関車」という意味で、ここでは中国でも数少なくなった蒸気機関車が一日四往復運行されている。地元の人々は愛
着を込めてこの名で呼ぶ。旅客営業でこの種の狭軌用蒸気機関車を運行している鉄道は、いまや芭石鉄道だけである。

この鉄道は岷江と青衣河という二本の河に挟まれた狭い丘陵地帯にある。山間にあり、他に主要な道路もないため、今日まで
奇跡的に運行を続けている。芭溝駅から1.5q先にある終点の黄村井駅までは、かつての炭鉱街で、芭溝炭鉱は廃止され、数
日に一度、黄村井の鉱山で貯まった石炭を運搬すべく運炭列車が走るだけだが、鉱山関係者と家族のアパートが立ち並び、い
まもひっそりと零落した炭鉱街に生きる人々がいる。沿線住民にとり、かけがえのない鉄道なのである。


汽車に乗る


犍為県の県政府所在地、玉津鎮から早朝のバスに乗り石渓鎮に着く。目指す蒸気機関車は、丘の上に段々とならぶ、薄汚れた
煉瓦住宅の合間に開けた入れ替え場内にあった。 赤錆びた黒い鉄の塊が、白煙に包まれて黙々と運炭貨車を押している。こ
の機関車はC2型といい、ソ連の機関車を東欧諸国でも生産したものを、中国が導入して生産した。


  牡丹江形ディーゼル機関車


中国の典型的な狭軌用機関車で、芭石鉄道では二両が在籍する。狭軌用といっても、小さな動輪が四つも並ぶ。運転室の背後
には給炭車を従え、ボウボウと煙を勢いよく噴き 上げるラッパ型の煙突の後ろに、楕円形の蒸気ドームを力こぶのように膨
らませ、じつに偉そうである。


  黄村井附近にて

客車を従えてホームに入場してきた列車は、見ればまるで囚人護送列車である。車体は深緑の鉄箱そのもので、二軸の車輪が
直接取り付けられ、窓は吹きさらしである。車内 に電球などなく、乗客は木製の板の上に腰掛けるが、切符に番号が書いて
あり、窓の上に書かれた番号にあわせて座る。囚人護送列車と書いたが、赤ペンキで無造作に大書された番号が殊に異様であ
る。


     まるで囚人護送車

列車は次の躍進駅までは電化区間をゆく。躍進駅は嘉陽炭鉱があり、電気機関車がにぎにぎしく運炭貨車を連ねて石渓まで往
復している。躍進駅から先は蒸気機関車の独壇場で、終点まで百メートルの高低差を喘ぎ喘ぎ登ってゆく。折しも春先、亜熱
帯の芭蕉の葉と竹林をかき分けるように進む列車の車窓は、霧雨のなか、水牛が耕す棚田や菜の花畑が淡い影絵のように浮か
んでは消えてゆく。しかし、そんな幽玄の風情を楽しむ余裕はない。

すさまじいブラスト音は、坂をあがるたび調子を変え、汽笛はけたたましく、蒸気は煙突からは天を目がけ、シリンダーから
は時に直角に、時に水平に真っ直ぐ吹き出し、トンネルともなれば窓もないから顔は煤だらけになり、目が痛い。山肌を縫う
ように蛇行する線路は、客車を激しく左右に震わせ、短めのレールはなぜか左右互い違いに接がれて敷設され、継ぎ目の衝撃
は車輪を叩いてそのまま腰に伝わり、上下左右に揺さぶられる。


脱線


振動がやけに激しいなと思うと、客車は不意に、ゴトッと異音を立てた。悲鳴を上げて機関車が急停車する。あろうことか、
客車が一両脱線してしまったのである。


   脱線機関車立ち往生の図

非常事態に、機関士助手は客車から枕木を二本線路上に卸した。自動車用のジャッキを備え付け、客車を持ち上げる。乗客環
視のなか、慎重かつ器用に試行錯誤の上、二時間後ようやく再出発となる。同乗の老婆が葉巻煙草のヤニで染まった茶色い歯
をみせ、笑って言うには、「こんなことははじめて」だそうである。復旧作業の間、乗客は次々と歩き出し、いまや半分ほど
に減ってしまった。

芭溝駅に着くと、残る乗客たちも下車し、私だけが終点、黄村井駅に降り立つ。ホームなどない、駅舎だけの寂しい谷間の駅
である。機関車は瞬く間に先頭から側線を通り後尾に付け替えられ、再び来た道を後ろ向きに戻ってゆく。

 
終点駅のトロッコ


列車は行ってしまった。次の列車は三時間後。さて、炭鉱でも見に行こう。駅裏手の鱗のような棚田の小道をあがると、集炭
場があった。玩具のような狭い線路が入り組み、採掘した石炭が、遠くの崖にぽっかり開いたトンネルから、手押しトロッコ
で運ばれてくる。



軌道はわずか300oの線路幅であった。正式には380oが最も狭い軌間規格であるから、世界でもっとも線路幅が狭い軌道かも
しれない。ヘロヘロとうねる線路が何とも頼りなく、侘びしく、愛らしい。坑夫は終端に着くとトロッコを台車ごとひっくり
返す。黙々と石炭を掻き出し、ホッパーのある崖下に落として、また坑道へと帰って行く。地響きを立てて出入りするトロッ
コを飽かずに眺め、また次のトロッコを飽かずに待ち受け、いつしか陽も山の西に傾き、ふと空耳を聞く。

「我はもう帰んな・・・・」。